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2016/03/24

自由になると。



こんにちは!ペットの飼い主さん専門の
エネルギーヒーラー、中村久美恵です。

私の家には縁があって出会った
猫が4匹います。
うち、2匹は兄弟、男の子、女の子です。

兄弟は昨年の梅雨の時期に
心ない人がうちの裏庭に捨てて
いきました。

雨の中、ピャーピャーと母猫を探して
鳴き続ける彼らは、目ヤニで目が見えず、
あじさいの陰でぶるぶる震えていました。

そっと手を伸ばすと、逃げもせず、
すぐつかまったので
トムとジェリー、と名付け、
手のひらサイズだった彼らを
家族にしました。


トムとジェリー 3か月ころ























BHSを知る前は、
動物が好きな自分をすっかり忘れて、
デスクワークに没頭していましたが、

BBSHの4年間のおかげで
「本当の自分」に気づき、そして
「本当の自分」に近づくために行動することが
できるようになりました。

本当の自分って?とか、
本当に自分に向いてる仕事って?とか、
自分が本当にやりたいことって?とか、
思っている方は多いのではないでしょうか。


BBSH3年生のときに
東京から田舎に引っ越したのは
「自分にはもっとスペースが必要!!」
と心から感じられたからです。

25年間住んだ東京を離れることは
それまで考えていませんでしたが、

今の自分に本当に必要なものは何か?

を強く感じて、
それを信頼できたなら、
行動を起こすことができますよね。

その結果、トムとジェリーのような猫や
飼育放棄されたマロンのような犬を
家族に迎えることができました。

これがBHSのすごいところだと思います。
東京で一人暮らしを続けていたら、
ペットを飼うことを自分に
許さないままでした。

本当に好きなことを自分に
許さないって、悲しいですよね。

一つ、自由という小さな石がころがりだすと、
やがて大きな変化につながります。

時間はかかるかもしれないけれど、
自分が自由に人生をデザインしている
感覚はすてきだし、責任感も増します。

あなたが人生の充実を求めていて、
さらにペットと楽しい人生を過ごしたいなら、
BHSを一度受けてみると良いですよ。






2016/02/09

天の宝物








1月末から闘病していた愛猫が
2匹、1週間違いで天国に帰りました。

とても寂しいです。

真っ白なウェンディは、
焼き肉屋さんの植え込みに
捨てられていました。

病院へ連れていくと、
心臓に奇形があるとわかりました。

とても人に慣れていて、
自分は可愛がられる価値がある猫だと
自信を持っていました。

小柄でしたが、とても活発でした。


ウェンディ 享年1歳半




ウェンディがくる半年前に
うちに来た桜ちゃん。

とてもエレガントで落ち着きがあり、
いつもみんなを全体から見ていて

誰かが咳き込んでいると、
かけつけて
「どうしたの?」
と覗き込んでいました。

マロンと4カ月ほど一緒に過ごしたのですが
梅雨の肌寒い時期には
ママの毛皮が恋しかったのか、
マロンにくっついていきました。


桜ちゃんとマロン


マロンが亡くなってから、
私が悲しくて泣いていると

なぜわかるのか、
別の部屋にいる桜ちゃんが
必ず様子を見に来てくれて、
頬の涙をペロリとして
慰めてくれました。

それがうれしくて、
また泣いていましたが・・・。

そんな桜ちゃんが
天国へ帰りました。


桜ちゃん 享年1歳10カ月


もう、病気のない世界だから
安心です。

まだまだいっぱい書きたいことが
あるけれど、長くなりそうなので
メールマガジンでご報告しようと思います。


桜ちゃん、本当にお疲れさま。
ウェンディのことも、また、よろしくね。





2015/03/11

3月11日によせて



忘れもしません、4年前のこの日。
信じられない思いで、
仙台空港に津波がなだれ込む様子を
インターネットの動画で何度も見ました。

ご近所の老夫婦はTVを見ても
実際に起こっていることだと
信じられなかったそうです。

私が住む福岡県にも、
福島から移住していらした方たちが
多く住んでいます。

今朝のラジオで
福島で居酒屋を営んでいらした家族が
福岡で和食屋を始めた、
地元の人はかれらが福島から来たと知ると
「がんばってね。」と声をかけてくれるそうだ、
と話していました。

人はまだまだ捨てたもんじゃないな、と思います。

この家族は福島を出る決心をしたとき、
周囲の人たちから
「福島を見捨てるのか!」
と責められたそうです。

神奈川県に住んでいる私の知り合いも、
同じようなことを話していました。

みな口には出さないけれど
暗黙の了解として
「お互い、ここから逃げないこと」
という雰囲気があったそうです。
今もあるのかな?

私が思うのは、
「他人はあなたの人生を歩めない」
という事実をどうとらえるか、です。

こどもにも大人にもありますが、
「●●さんが△△と言ったから、私もやらない。」
「仲間はずれになりたくないから、やる。」
というときがありますよね。

どちらの場合も、最終的に
やらない・やる、と決断したのは自分です。

だから、やっぱり自分の責任です。

決断の結果を、

肉体の健康面で、
精神的な安心感について、
人間関係の感情面も、

「受け取る」のは自分です。
すべては自分に返ってきます。

人と違う決断をしても、
それが、どうしても
自分に必要だと思えたなら、
堂々と行動すればよいと思います。

今も多くの方が
福島のために働いています。

放射能の影響は長く長く続くだろうけれど、
それにも負けないで、
忍耐強く生きる人たちを
心から誇りに思います。




2015/02/20

一日だけの飼い主




実は、ここで先日書いた庭の野良猫が
17日に亡くなりました。
前日夜に、とても具合が悪そうなのを
見かねて、家の中に入れて看病しました。
1日だけの飼い主でした。


おしりと後ろ足がうんちにまみれていて、
ものすごく臭くて、ネチネチしたものが
体のあちこちにたくさんついていて、
抱え上げる時はゴム手袋をしました。


無理を承知で最初にシャワーで流しました。
嫌だったろうに、もう、自力では動けなかったので、
されるがままでした。


よく乾かしてあげたタオルに臭いが移って、
全部捨てました。


うちの中にいる4匹に
病気がうつらないようにとも考えました。


よく観察してみると、舌の中心の一部に
潰瘍が出来ていて、そこだけ
真っ赤になっていました。


ああ、だから食べるときに、あんなにこぼしていたんだ。
これは痛いよなあ。。。
けど、お腹すいてたんだよね。
食べないと、ほかの猫に負けちゃうもんなあ。


乾いた毛皮はフワフワでした。
ネチネチで細く固まったしっぽは
信じられないほど太く立派で、
きれいなシマシマ模様が入っていました。


生まれて初めて、洗ってもらったよなあ。
本当はこんなにフワフワの毛だったんだなあ。
ほーら、尻尾も立派になったよ。
。。。好きで、あんなショレショレにならないよなあ。


どうやら臭いのもとは、潰瘍のようでした。
すでに飲むことさえできなかったので、
ピペットで少しずつ、ささみスープをあげました。


その日のうちに亡くなるかな、と思っていましたが
一晩がんばりました。


けれど、少しずつ顔に死相がでてきて
(まばたきをしなくなり、遠くを見ているような目)
胃の中味を少しずつ戻すようになり
(すでに、水だけ)
何と言っても体が冷たくなってきました。


湯たんぽでお腹を温めて、
両手でかわるがわる後ろ足と前足を
温めました。


ここのところ、寒かったからなあ。
夜の間に、具合が悪くなっちゃったかな。
けど、この足が腫れてきて今日で3日目だよねえ。


たんこぶのような足をそおっと持ってみると、
何と、くぎであけたような深い穴が開いていました。
周りの皮膚が破けたようにペロンと
さがっていました。


どこでこんな怪我しちゃったんだ。
2~3日見なかった、あの時かな。
どうしてこんな目にあうんだろうなあ。
もう、十分大変なのに。。。


生まれて初めて人間と過ごす夜かな。
とにかく、この寒い夜を風のない家の中で
暖かく過ごせて良かった。


夜中、何度も苦しそうに鳴きました。
そのたびに声をかけて、足や身体をさすって
温めました。


ときどき、前足と後ろ足が走るように動いて、
どこかに行っているみたいでした。
ストレッチするように、何度か脚を
伸ばしたこともありました。


そろそろかな、と覚悟しました。
動物がなくなるときには、
こういう行動が見られるのを
マロンを看病したときに目にしていたからです。


朝が来たときには、うれしかったです。
時計は4時半を指していました。
・・・マロンは2時15分に亡くなったっけ。


やがて、曇りではありますが、
朝日で明るくなってきました。


「よくがんばったねえ、朝だよ。
おはよう。」
そう言うと、「ニャ~」と返事をしてくれました。


「朝ごはん作ろうねえ。
よくがんばったねえ。
明るくなってきたよ。」


そのうち、うちの4匹の猫たちも
台所の物音を聞きつけて、
ドタバタ始まりました。


ちょっと見てこよう、と思った時に
小さな声を聞いたような気がしました。


猫のほうを見ると、鳴きはしませんでしたが
何となく「行かないで」と言われた気がして
そばに近寄りました。


もし、部屋がめちゃくちゃになっていたら
後から片付ければいいことだ。
そう思いました。


そばについていると、
小さく苦しそうに息を吐き出しました。


しばらくすると、
前足だけがどこかへ歩いていくように
動き始めました。


でも、その足にもう、力はありませんでした。


その後、前足を3回縮みこませて、
伸ばして、と繰り返した後に
小さくハァ~、と息を吐いて、
逝きました。


「まだ(身体に)いるの?もう出たの?」


それまでは、そおっとお腹を触ると、
小さく小さく脈打っているのが
わかったのですが、
今度はわかりませんでした。


念のために、聴診器で3か所確認しましたが
無音でした。


よく朝まで頑張ったなあ。
・・・もしかしたら、もっと生きたかったのかな。


一日だけだったけど、
飼い猫になったね。
暖かい家と独りじゃないことを
経験できたね。


それに、どんなに臭くて、汚れていて、
病気でも、自分はまだ
愛される価値があったんだ、っていうことを
経験できたかな。


しょれしょれ、ありがとう。
最後に看病させてくれて、ありがとう。
・・・しょれしょれなんて名前、
嫌だよなあ。


少し意識をしていると
「フィオレ」という言葉が浮かびました。
イタリア語で花、という意味です。


女の子みたいな名前じゃないの、と
話しかけました。
オス猫だったからです。


でも、ちゃんと飼われていれば
花のように愛らしい猫だったのかも
しれません。





2013/03/11

3.11によせて

今朝、ネットで注文した本が届きました。題名は「いのちをつなぐ」、です。

「いのちをつなぐ」は、国際セラピードッグ協会代表の大木トオルさんの著書です。大木さんは福島の飼い主をなくした犬たち、殺処分寸前の犬たちを保護して、りっぱなセラピードッグたちを育てています。この本が3月11日に届くなんて、何ともいえない気持ちになりました。

今日、14:45に、私の住む町でもサイレンが鳴りました。愛犬といっしょに、神妙な気持ちで手を合わせました。

まだまだ終わっていない、被災地の現状。家も、家族も、犬もなくした人たちがいます。市役所の職員が足りずに、日本中から応援に行っていますが、応援職員の自殺もあります。「自分は本当に被災者たちの役にたっているのだろうか」と、亡くなる前に上司に話していたと新聞で読みました。

茨城に非難した家族は「被爆者は来るな!」と近所のひとたちから言われ、避難をあきらめました。北九州に避難した家族は周囲の親切に感謝しつつも、こどもがいじめられるかも、との思いから車のプレートを被災地のものから北九州に変えました。

本当に、胸が痛みます。2年経っても、何も終わっていないのです。
わたしたちに、何ができるでしょうか。

大木トオルさんの有名な著書、「名犬チロリ」にこんな一文があります。

「・・・小学生が書いてくれた手紙には、「人間から虐待をうけた犬が、なぜ、人間にやさしくできるのかふしぎに感じました。もし、わたしが犬だったら、もう人間なんて信用できないと思います」とありました。
そのとおりです。
どのような人もわけへだてなく受け入れようとする犬の心の広さや純粋さにふれると、謙虚な気持ちになります。」

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、チロリは飼い主から棒か杖のようなものでたたかれて育ち、腰や足の骨が変形していました。そして、赤ちゃんを産んだために、団地のごみ箱に赤ちゃんたちとともに捨てられていた犬です。

生きることを決してあきらめないということは、非常に勇気がいることです。日本各地に避難している被災者の方々が、決して「生き残った自分」を責めたり、罪悪感をもったりせず、亡くなられた方や動物たちの分まで、しっかり生きてほしいと願っています。

私たちにできるのは、いまも心を痛めながら生きている彼らのことを「なかったこと」にせず、できる限りのサポートを提供していくことだと思います。

自分にできることは何か。
1人が何か1つのことをすれば、どれだけたくさんの人たちが癒されることか。
自分自身の才能を見直す時期かもしれません。







2012/12/29

本気でかかわる、ということ。

最近の新入社員のかたがたは、親御さんに怒られた経験があまりないのでしょうか?

インターネットで見つけたこの記事によると、怒られること自体、期待の裏返しだ、と理解している方も多い一方で、「叱らずに、普通に教えてよ」という方もいますね。

そりゃあ、なかには理不尽な怒り方をする上司もいます。(掃いて捨てるほど。)理不尽な左遷(異動)をさせる上司もいます。(掃いて捨てるほど。)そういう例外は別として、やはり、他人と本気でかかわる、ということがなくなってきているのでしょうか。

そういう人間が、動物を飼うと、どうなるのでしょうか?実は、動物とて、人間が本気でかかわると違ってきます。

先日、近所の犬が別の犬を噛む、という事件がおきました。どちらの犬も知っている私にとっては、とても辛いことでした。

どちらもメス犬なので、A子とB子と呼ぶことにします。(?)

A子は太目の3歳児で、わんぱく&姉さん気取りです。実は怖がりな一面もありますが、近くの原っぱでは、よく散歩ひもを付けたまま放してもらって、自由に走り回っていました。

自由にさせてもらっていたのは、お母さんが足が悪くて走れないこと、お父さんは毎日仕事が遅くて散歩に連れて行けないこと、だからA子をかわいそうに思ったお母さんが「せめて、少しでも運動させてあげたい」と思ったからでした。

それに、A子はちょっとおでぶちゃん。それは、仕事帰りのお父さんが夜10時頃、夕飯を食べるときに、かわいいA子に必ずご飯のおすそ分けやおやつをあげるから。(夜遅くに食べると太るのは人間と同じ?)

そんなA子は、めったに怒られたことがありません。怒られるときはお母さんが声を強めて「A子!!」と呼ぶだけ。お母さんは力もないので、体罰をしたことは1度もありません。お父さんは1度だけおなかを蹴りました。それは、あまりにA子が前のめりに(ほふく前進状態で)散歩ひもを引っ張ったために、それをやめさせようとしたときでした。

その日も、A子はワシワシ原っぱを走っていました。お友達の女子犬と一緒に、いつものように「わたしの原っぱ」を縦横無尽に走っていた、そのとき。

2匹の姿が見えなくなったあたりで、「きゃん!!!」という犬の叫び声がしました。

女子犬の飼い主であるお父さんが、「ごるらぁ~~~!!(こらぁー!!)」と言いながら一生懸命走りました。女子犬はA子より年下なので、A子の味方をします。いつも一緒に遊んでいるから、当然のこと。だから、けんかになったときには要注意なのです。

追いついてみると、ご近所の男性が白い犬、B子を散歩させている途中でした。

A子がB子の後ろももに噛み付いたので、(しかし幸いにも軽かった!)少し足をびっこさせていたそうです。飼い主同士がお互い顔見知りということで、その場で「だいじょうぶですか?血はでていませんか?」と聞いて「だいじょうぶだよ」で終わりました。

女子犬の飼い主さんは、B子のお父さんも知っています。彼らの前で、女子犬はこっぴどく怒られました。「ごらぁ!!ダァ~メッ!!!」それこそ、雷が落ちたような大声。女子犬は尻尾を巻いて、小さくなって逃げ回りました。普通ならこのあと、蹴られるからです。(幸いにも今回は蹴られず。涙)

A子も女子犬のお父さんに怒られました。「ごらあっ!!なんしよっかぁ!!お前はあっ!!ごらあっ!!」びくびくしながら、それでもお父さんの顔を見続けるA子。

犬が視線をはずさないときは、相手にけんかを売っているときです。通常は、けんかにならないように相手と(人間とも)目を見ないようにしています。

そう。A子は怒られつつも、女子犬のお父さんに対して、決して負けてはいなかったのです。

やっとA子のお母さんがおいついて、散歩ひもをもったとき、A子は女子犬のお父さんからコンコンと説教されたのですが「何がぁ~?」とまったく気にしていない様子。これには驚きました。

犬をしかるときには、現場を押さえなければなりません。時間が経過してから怒っても、何を怒られているのか理解できないからです。(動物は、常に「いま」を生きています。)

A子のお母さんはショックで言葉が出ないようでした。相手の方が「だいじょうぶだよ」と言ってくれたものの、ご近所さんだからこそ気を遣うことがあります。そんなお母さんの気も知らず、A子は「ふんふんふ~~ん」と葉っぱのにおいをかいでいるのでした。

お友達の女子犬は、なぜお父さんの怒りが本気で、どれほどのものかというのをすぐに理解したのでしょうか。

蹴られたことが何度もあるから?それもあります。
何度も怒られているから?それもあります。
でも一番は、お父さんが「本気だった」ということです。

読者のなかには「まあ!犬を蹴るなんて!!!」とお怒りのかたもいらっしゃるかもしれません。わたしも最初はそうでした。わたしは決して体罰を容認するわけではありませんが、この飼い主さんがどれほど女子犬を好きかも知っているのです。

どんなに忙しくても、どんなに遅くなっても、どんなに酔っ払っても、必ず散歩に連れて行く。ごはんやおやつは欠かさない。その上、犬のご飯は手作り。自分が苦手な掃除は、お手伝いに来てくれるおばちゃんが助けてくれる。

女子犬はお父さんが本当に自分のことを好きでいてくれるから、怒られたあとも、尻尾をふって一緒に帰っていくのです。

A子のお母さんが犬を怒れないのにもわけがあります。

昔、働いていた会社の人が、犬にひどい虐待をしているのを見てしまいました。その人は犬を建物の2階から放り投げて捨てたそうです。

信じられますか?

お母さんはとても繊細な人で、その光景がずっと目の奥に焼きついて離れなかった、だから、まさか、自分が犬を飼うことになるなんて、予想もしなかった、と言っていました。

このお母さんは自分のトラウマを乗り越えて、自分の夫がもらってきた犬を育てることにしたのです。自分の足のことや、病院通いのことも含めて、A子のおかげで前向きに変わったのです。

怒る、というのは誰にとっても嫌なことかもしれません。でも、嫌なことである前に、相手にとって「だいじなこと」、「気づくチャンス」であることも間違いありません。

このお母さんが今回の出来事を乗り越えて、自分の愛犬を本気で怒れるように、強くなってほしいと願っています。そして、誰もが、自分のために立ち上がる勇気を持っていることを書き添えます。

長い記事を最後までお読みいただいてありがとうございました。
2012年も終わりです。
どうぞみなさま、よいお年をお迎えください。
また、来年。




2012/10/25

私に必要だったもの。

フェイスブックでは既にご紹介したのですが、最近、「コンシャス・コンフリクト(葛藤の意識)セミナー」の無料電話ワークショップに参加しました。(ホームページはここをクリック。PC用、英語です。日本の国旗マークをクリックすると、概要を日本語で読むことができます。)


これが、本当に、日常が変わるのです。「え~?!」という方もいらっしゃると思うので、私のいくつかの実体験をシェアしたいと思います。


1. ○○が欲しいのに、いまだ手に入らないー!

セミナーで習った手法を繰り返してみると…なんと、「いらないよ!」という無意識の声が発覚!子供の頃に気付いてほしかったのに気づいてもらえなかった、という心の傷が関係していました。こどもがすねて、本当は欲しいのに「いらないよ!」と言っている声、といったらおわかりいただけるでしょうか?これじゃ、手に入らないはずだ。。。(汗)


2. 高価なギフトをもらったけれど、なんか悪い気がする。。。

ありがとう、と受け取ったものの、何かしっくりこない。すると…大事だったお人形を知らない間に捨てられてしまった(多分、汚かったから?)という悲しみを再体験しました。大切なものは手に入れてもなくなってしまう、という心の傷でした。世のお母さん方、こどもに黙って古いおもちゃを捨てちゃだめですよ!

この話には続きがあります。心の傷が癒されたあと、お米10kg、なかなか手に入らない天然酵母の手作りパン、彼岸花の立派な球根たち、エッセンシャルオイル2瓶、植物の雑誌が全部無料で、そして新しいお客様もやってきました。アバンダンス(豊かさ)~♪


3. △△が必要と思って買ったけれど、無駄使いじゃなかったかなあ・・・

なくても良かったのかな?と不安になったのですが、これは純粋に欲しいと言ったものを買ってもらえなかった子どもの悲しみや怒りにつながりました。手を伸ばし、しっかりつかんで、自分の胸に引き寄せる、というジェスチャーを通して、欲しいものは手に入らないという傷を癒すことができました。すると、不安が「届くのが待ち遠しい!」というウキウキした気分に変わってしまいました。


4. □□の電話に出たくない。でも対応しないと。どうしたらいい?

以前、電話で話したときにがっかりさせられた相手。でも、大人の対応をしたい。だからセミナーで習ったことをやってみました。すると、裏切られたという怒りの感情ののち、心の傷が氷の分厚い壁の家に隔離されていて、世界との絆を断ち切っていたことがわかりました。私のハートが必要としていたのは、「どんなひどい目にあっても、生きていけるよ」という励ましの言葉でした。


5. XXを書きたくないんだけれど、資料のためには必要。なぜ書きたくないと思っちゃうの?

どんどんたまってしまう書類。困っていると、「何でも言ってはいけない」という心の傷がでてきました。子どもの頃、転校生だった私は、先生や友達の方言になかなかなじめず、苦労したことがありました。みんなと違うことを言うと、仲間外れにされる、と思ったのでしょう。深呼吸をすることで、喉が楽になって、「どんなことを言っても(書いても)だいじょうぶ」という言葉を繰り返しました。もちろん、書類は完成しましたよ。


自身の中にある大小の葛藤を味方につけて、そこから流れを変えていくと、その先には平和とハーモニーが広がります。ご興味のある方はどなたでも、一連の流れを無料の電話セミナーで体験することができるそうです。フェイスブックのこちらのページで情報を見ることができますよ。



2012/07/01

三匹の子猫と私(1)

その声は、物置から聞こえてきました。物置は、原っぱの近くの、少し小高いところに2つあります。


ぴゃー、ぴゃー、という子猫の高い鳴き声。私には母親を探して呼んでいるように聞こえました。親猫が、あそこで子猫を生んだのでしょうか。それとも、誰か人間に捨てられたのかもしれません。愛犬と散歩しながら、声の聞こえる物置をちらちらと見ながら、通り過ぎました。


3日目。声が聞こえていると安心するようになりました。まだ生きてるんだな。でも、あんなに鳴いていたら、誰かに見つかってしまうな。母猫はミルクをあげているのかな。


4日目。ついに物置を見てみることにしました。そおっとドアをスライドすると、手のひらに載るくらいの子猫が3匹、真ん中くらいにかたまっていました。


子猫たちは、こちらを驚愕の表情で見ていました。生まれて初めて見る、犬の顔。(私の愛犬です)驚きのあまり声がでないまま、口をパクパクさせて「にゃー、にゃー!」(だれだ、来るな!)と言っていました。


ドアの隙間から外に出てこないように、あわてて閉めました。人間や犬の匂いがついてしまうと、母猫が警戒して近寄らなくなってしまうかもしれません。母猫のために、猫が通れるくらいの隙間は空けておきました。

見てわかったことは、物置には古い畳がしいてあって、私が想像していたより居心地が良さそうだということ。そこは何年も使われていなくて、誰かが入った跡がないということ。つまり、猫がそこで赤ちゃんを産んだ可能性が高い、ということでした。


私は少し、安心しました。母猫がたぶんいるのだろう、と思ったからです。

その後数日、気を付けて聞いていると、子猫たちは朝や昼間は鳴いていないことに気づきました。夕方になると鳴いていたので、きっと、その頃おなかが空いていたのでしょう。

近所のお散歩仲間たちも気づいていて、「ああ、あそこで声がするよね。」とお互い話をしました。話の最後はきまって、「誰かに見つかって、捨てられなければいいけどねえ。」でした。自分たちは犬を飼っていて、正直手いっぱい。子猫が可愛いのは認めるけれど、飼う余裕がない、というのが本音でした。

また、近所で猫を外飼い(えさだけ与えて、家の中には入れない。ベランダに段ボール箱等を置いて、猫の家にしている状態。)しているお宅があって、その猫たちが自分たちの庭に入ってきて、トイレをしていく、という不満を抱えてもいました。

賃貸の場合、猫を飼うには気を遣うことが多いですよね。ふすま、柱、床、たたみなどでの爪とぎ。これは猫の本能なので、やめさせることは出来ません。爪とぎを買って置いてみたところで、自分が気に入らなければ使ってくれません。

夏は窓を全開にする家が田舎では多いので、子猫の鳴き声がうるさい、という場合もあります。おまけに猫は夜行性です。

外に出たいとニャーニャー鳴けば、出してやりたいのが親心。でも、オス猫の場合はそれが領地争いの始まりになるので、一度出すと、再び出すことになります。そうすると、他の家に入って行って、トイレをしてしまいます。

犬のうんちも匂いますが、猫のそれは犬の比ではありません。うちも玄関のアプローチに堂々とされていたことが数回あり(苦笑)、探し出すまで本当に苦労しました。

よって、本当に、本気で猫を飼うなら、ずばり、「室内飼い」しかないのです。そして、犬のように小さな首輪とリードをつけて、ときどき外に出してあげるしかありません。そんなの、可哀想!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、毒だんご等をまいて猫がこないようにする人間がいることを思えば、室内飼いにするのが無難です。

だいじょうぶかなあ、と心配する日々が、それからも数日、続きました。



2012/05/25

のら犬と私(1)

その日、めすの迷子犬を見かけました。買い物帰り、車からチラッと見えたのは大きなバイパス道路をふらふらと歩いている、赤い首輪をした犬で、遠目にも、あばら骨が見えました。足は枝のように細くて、長いことまともに食べていないようでした。

いったん家に帰ったものの、どうしても気になって、ペット用自転車(前かごが大きくて、15kgくらいまでの犬猫なら安全に乗せられる設計になったバッグ付き)で犬を見かけた場所まで行ってみました。

「いた、いた。」大きな道路からいっぽん裏に入った、川沿いの道路をスタスタ歩いていました。どこか目的地があるのか、足取りは「急いでいる」ように見えました。

自転車で近づきましたが、すぐに逃げてしまいます。追いかけて、逃げられ、追いかけて、逃げられ。初夏の日差しが降り注ぐ中、ついに犬は断念しました。私に首輪をつかまれて、リードにつながれました。水を持っていた私は、小さな容器に移し替えて犬が飲みやすい場所に置きました。

飼い犬だったことは明らかですが、捨てられたのか、逃げてきたのかはわかりません。名札はつけていませんでした。「ああ、名札さえつけていたら帰れるのに・・・」。帰る家がこの犬にとって幸せな場所かどうかはわかりませんが、名札さえつけていたら、自宅に戻れるのです。私が今、飼っている犬も、名札をつけていませんでした。保護して1か月後に会った飼い主さんは、「そんなこと(逃げ出す)になるとは、思っとらんけん!」と私に言ったことを今でも覚えています。福岡県は一昨年まで犬猫の殺処分が全国ワースト1位でした。それだけ、県民の税金を使っていることになります。

とにかく、家に連れて帰る前に動物病院へ連れて行こう。もしかしたら、飼い主さんが探していて、病院の「探しています」掲示板に何か情報があるかもしれない。そう思った私は、暑い日差しの中、自転車を押しながら犬と歩き出しました。なぜ自転車を押しながらかというと、犬はあまり人懐こいタイプではなく、とてもかごの中には入れられなかったからです。

少し行ったところで、小学生の女の子2名が話しかけてきました。「その犬、噛みますか?」。自分の犬ならいいけど、この犬はなあ・・・。私は通常、こどもが犬を触らせてほしいと言ってきたら、愛犬の様子を見ながら快諾します。それは、私の犬がこども好きだから。でも、この犬はわかりません。用心のため、女の子たちには「この犬はわからんよ。さっき、川の横でつかまえたけん。」と言いました。好奇心と人助け(犬助け?)の花がぱっと満開になったように、女の子たちは私を質問攻めにしました。どうしてつかまえたのか、どこから来たのか、なぜ1匹で歩いていたのか、飼い主さんはどこにいるのか。全部の質問に答えた後、これから病院へ連れて行くのだと言うと、女の子たちは「わたしたちも行く!!」。お昼どきだし、お母さんが待っているのでは?というと、「まだお腹すいてないもん!」。その場所から、動物病院までは10分とかからないので、お供してもらうことになりました。




2012/05/15

カラスとかちがらす(2)

ヒチコック映画さながらの原っぱをよく見ると、歩道沿いにカラスが輪になって「ぎゃあ、ぎゃあ!」とけんかするように騒いでいます。上空ではかちがらすの夫婦が仲間を呼ぶように必死で鳴いていました。

「!」。 ピンときた私は犬と一緒に、カラスが集まっている場所へ猛ダッシュしました。だいたい、カラスがたくさんいるだけでも気持ち悪い風景なのに(カラスファンの方、ごめんなさい!)そのうえ、想像を絶するうるささ。騒いでいるカラスは犬と人間の登場で、一斉に飛び立ちました。

はたして、そこにあったのは、立派は羽が数本残った、かちがらすのヒナでした。ああ、やっぱり・・・。巣立ちまであと少しだったのに・・・。首や胴から出血していて、すでにこと切れていました。

「はあ~。」重いため息をついて、しゃがみました。ああ、どうしようもなかったね。まだ飛べなかったのにねえ。ごめんね。救ってあげられなかった親を恨むかい?でも、親もどうしようもなかったんだよ。どうか、許してね。

動かないヒナに心の中で許しをこい、これで怖い思いをすることのない世界に行けたことを祝福しました。でも、残念でなりません。ちいっくしょー!といくら悔やんでも、何もできないのです。がっかりしながらも、これ以上、ヒナがつつかれないように、手当たり次第に草をちぎって集め、上からそっとかけてあげました。緑色のお布団をかぶったヒナに、カラスは一羽も近づきませんでした。

親はすべてを知っていて、何でもできるかのように子どもは思います。少なくともそう信じているでしょう。でも、大人でも知らないことはあるし、できないことはあるのです。子どもの命を守れないときだってあります、動物も、人間も。ヒーラーとしてクライアント(患者)を救えない時だってあります。要は、この3次元の世界では「限界がある」ということです。これを受け入れるのは、ときに辛いことです。

電線には相変わらずカラスが真っ黒に並んで止まっており、近所の家の屋根、アンテナなどにも数羽ずつ止まって、うるさく鳴き続けていました。この時ほど、カラスが憎く見えたことはありません。私は完全にかちがらす派でした。こんな大勢で、たった2羽のかちがらすから大切なヒナを奪ったのか!許せん、卑怯者!

実際にはほんの数羽のカラスが巣を襲ったのかもしれません。でも、その時に多くのカラスがいたために、私は真実ではなく、状況から思い込みをしました。同時に、自分の人生で「裏切られた」経験が関係していることも、頭のどこかで自覚していました。小さなこどもが経験する、大人からの辛い裏切り。それは例えば、隠しておいた宝箱をゴミと勘違いされて捨てられるようなものです。

怒りにメラメラと燃える私を、愛犬は「どうしたの?」という顔で見上げていました。こんな時、動物と一緒にいると本当に助けられます。私は愛犬の不思議そうに私を見上げる目を見て、地に足がつきました。怒ることを「頭に血が上る」と表現しますが、まさに、エネルギーも上に上ります。大地から離れそうになったとき、善悪など判断しない犬が、いったい私がどうしたのか不思議そうに見上げたのです。




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【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖私たちの悩みはどんなものでも、自分の内側を見れば必ず解決していきます✨ ****** こんにちは、中村久美恵です^^  暑かったり寒かったり、お天気が一日のうちに目まぐるしく変わり、昼と夜の気温差が15度...