2015/03/11

3月11日によせて



忘れもしません、4年前のこの日。
信じられない思いで、
仙台空港に津波がなだれ込む様子を
インターネットの動画で何度も見ました。

ご近所の老夫婦はTVを見ても
実際に起こっていることだと
信じられなかったそうです。

私が住む福岡県にも、
福島から移住していらした方たちが
多く住んでいます。

今朝のラジオで
福島で居酒屋を営んでいらした家族が
福岡で和食屋を始めた、
地元の人はかれらが福島から来たと知ると
「がんばってね。」と声をかけてくれるそうだ、
と話していました。

人はまだまだ捨てたもんじゃないな、と思います。

この家族は福島を出る決心をしたとき、
周囲の人たちから
「福島を見捨てるのか!」
と責められたそうです。

神奈川県に住んでいる私の知り合いも、
同じようなことを話していました。

みな口には出さないけれど
暗黙の了解として
「お互い、ここから逃げないこと」
という雰囲気があったそうです。
今もあるのかな?

私が思うのは、
「他人はあなたの人生を歩めない」
という事実をどうとらえるか、です。

こどもにも大人にもありますが、
「●●さんが△△と言ったから、私もやらない。」
「仲間はずれになりたくないから、やる。」
というときがありますよね。

どちらの場合も、最終的に
やらない・やる、と決断したのは自分です。

だから、やっぱり自分の責任です。

決断の結果を、

肉体の健康面で、
精神的な安心感について、
人間関係の感情面も、

「受け取る」のは自分です。
すべては自分に返ってきます。

人と違う決断をしても、
それが、どうしても
自分に必要だと思えたなら、
堂々と行動すればよいと思います。

今も多くの方が
福島のために働いています。

放射能の影響は長く長く続くだろうけれど、
それにも負けないで、
忍耐強く生きる人たちを
心から誇りに思います。




2015/03/10

変で人と違う自分




アカデミー賞で受賞した
グレアム・ムーアという男性の
スピーチ、感動的でした。

こういうことを言ってくれる人が
出てきたんだな~としみじみ。

脚色賞を受賞した彼は
16歳のときに自殺未遂したことを
スピーチで話しました。

続けて、

「(自殺未遂した理由は)
僕は自分が変だと思っていたし、
人と違っていると思っていたし、
居場所がないと感じていたからです。

でも、いま、ここにいます。

そして、もし
自分は変だ、人と違う、
どこにも居場所がないと
感じている人がいたら

いいえ、あなたの居場所は必ずあります。
僕が約束します。

そして、次はあなたの番です。
あなたがこのステージに立ったら
次の人にこのメッセージを
伝えてあげてください。」

とスピーチしました。
この後、大喝采で
多くのスター達が立ち上がって
拍手をしていました。

ツイッターでは
#(ハッシュタグ)変なままでいよう
人と違うままでいよう、という
言葉がまたたくまに広がりました。

この言葉に助けられた人が
あるいは今助けられている人が
どれだけいるだろう、と思います。

自分はなぜか、理由はわからないけど
人と違うとあなたが思っているなら、
同じような人がたくさんいるから
心配する必要はありません。

そもそも、私もそう感じていた一人でした。
そうして、そのまま人生を歩んできました。
そして、あるとき、BBSHに入学してみたら
そんな自分を「完全に」受け入れてもらえる
場所があるということを知りました。

そして、その孤独感を「個性」として
人と違う道を歩んでいいのだ、と思える
勇気をもらいました。

○○か●●大学へいって、
○○円くらいの給料がもらえる会社に入って、
幾つくらいになったら結婚して、
少子化社会だからこどもを生んで、、、

社会が若者たちに期待する「レール」を
そのまま行くことは安心につながります。

けれど、そこからはみでてしまうと
「自分はダメなんだ」
「自分は出来ないんだ」
「ほかの人は出来てるのに」
などと落ち込んでしまいがち。

本当は一人一人違うはずなのに
いつのまにか
「みんなと一緒だと安心」
「みんなと違うと不安」
という見えない枠にはまって、
自分じゃない誰かに
なっているのかも。

人と違うことが当たり前だからこそ、
世の中のいろいろなことが
回っていくんじゃないかな、と思います。











2015/03/09

本当の自分




今年のグラミー賞で4部門を制した、
若干22歳のサム・スミス。

初めてその声をラジオで聞いたときは
女性だと信じていました・・・。

ご本人はCDを出す前に
ゲイであることを公表しました。

CDを出した後に公表すると
売り上げを伸ばすために
隠してたんだ、と言われるだろう、
それは本意ではない、という思いから
事前に公表したのだそうです。

素敵です。
わたしはLGBTの人たちが
そうじゃない人たちと
同じように普通に生活できる
環境、社会は大事だと思っています。

米国のエレン・ショーという
トーク番組で、司会のエレンが
こう言ってました。

「あなたが『痩せようとしたり、違うことを
してみたり、いろんなことをしてきたけど、
本当の自分になるまでこんなことは
起こらなかった。』って言ってたのが
すごくよかったわ!」

多くの人が自分じゃない誰かに
なろうとしてるよね、悲しいことに、
とサム・スミスが答えていましたが
このやり取りに感動しました。

誰だって、本当の自分じゃない
理想の自分を追い求めて
(つまり、自分の外に何かを求めて)
もがくけど、自分自身でいいんだよ、
ってことですよね。

本当の自分って、何?という方も
いらっしゃると思います。

BBSHの学生時代、よく先生方から
「あなたは誰ですか?」という問いが
ありました。

でも、そのときは、この質問の
意味の深さがわからずに
「?」でした。

本当の自分になったときに、
宇宙と呼応して
奇跡が起きるのかな。

わたしにはどんな奇跡が起こるだろう。
楽しみだな。






2015/03/08

ささやかな幸せ




先日、お誘いを受けまして
二胡(にこ)の演奏会に
お出かけしてきました。

弦が2本しかないのに、
どうしてあんなに多様な
音が奏でられるのか、
素人の私は感心しきりでした。

月琴(げっきん)やギターも含めて
22曲が披露されたのですが

不思議なことに
曲を聴いていると
美しいヴィジョンが浮かびました。

それは牛と人間が働く水田を
夕陽が美しく照らしている様子だったり

田舎の農村の畑を走り回るこどもの
楽しそうな風景だったのですが

それは、曲と演奏者が創り上げた、
肉眼では見えない美しい芸術でした。

曲目が進み、
「見上げてごらん夜の星を」の曲が
奏で始められると、
今度は美しい夜空が広がりました。
(私の第6チャクラで見てます)

そして、突然わかりました。

ああ、マロンは星になって
私を見守ってくれてるんだ。
いつも、よく見てくれてるんだ。
必ず、見てくれてるんだ。

よく、こどもの絵本とかで
ありますよね。
あれは本当なんだな、って
感じたんです。

変ですよね。でも、それは
ひらめきにも似た、
「ただ、そうだと知っている」
という感覚です。

疑う余地が全くない、
ただ、とにかく、そうだと知っている、
そんな感じでした。

涙が浮かんできて、
この演奏会に来たかいがあったな、
このメッセージを受け取りにきたのかも、
と感動しました。

音楽はしばしば、天国からの
メッセージを人間に伝える際に
利用されます。

言葉やメロディであなたに伝えたいことを
はっきりとわかりやすく伝えられる
一つの手段だからです。

久しぶりに聞いた曲だったので、
もう一度聞きたいと思って
動画を探しました。

夏川りみさんの歌もすごくよかったのですが
添付ビデオの坂本九さんの笑顔に
何とも泣かされました。

彼の歌は魂に響くなあ、
と改めて思います。

歌詞も素敵です。

”小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを歌ってる”

”ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを願ってる”

毎日の生活に
ささやかな幸せを
たくさん見つけられたら
私たちはもっと
幸せになれるのではないでしょうか・・・。







2015/03/07

ミニオン




何を隠そう、わたしはミニオンが好きです。
世界最強のヴィラン(悪者)に尽くすのが
ミニオン最大の生きがい。

オーナーのグルーの仕事から家事から
子育てまで、すべてをこなす彼らが
数人、家にいてくれるだけで
どれだけ助かることでしょう!

猫のトイレ掃除、ご飯やおやつの準備、
家事全般に買い物に外出時のドライバーまで
ぜんぶ助けてもらえる!(はず・・・)




この黄色い変な生き物を最初に見たのは、
BBSHのクラスが終わってマイアミから
帰国する機内(の映画)でした。

このバナナ好きなミニオンには
何と、一人ひとり名前があるんです。
ケビン、デイブ、スチュワート、ボブなどなど。

最近、スパイ映画も見尽くして、
何を見ようかとDVDコーナーを
物色していたところ、
キッズコーナーでこの黄色いものが
私の目を惹きました。

「あれ~、どこかで見たような・・・」

どこだったかな~、と考えるうちに
飛行機の映画を思い出し、しかも
すでに第2弾が出ていることに気づき、
時の流れを感じる次第・・・。

卒業してから、今年の6月で早4年・・・

「久しぶりに見てみようかな。」

狭いエコノミーの席で大好きな友達と
隣同士に座って、寝たり、食べたり、
おしゃべりしたりと15時間近くを
過ごしたっけ。

今年は第3弾がスピンオフとして
上映されるので、映画館に
見に行きたいなあと思っています。

多分、夏休みのこどもたちに
囲まれて見ることになるのでしょうか・・・




2015/03/06

エゴと後悔



野良猫2匹を見送った後に
「(お看取りは)悲しいけれど、やめない。」
という気持ちがよりはっきりしました。

自分に出来ることで役立てるなら、
というゆるぎない気持ちが生まれたからです。

それから数日後、オスの野良猫が
マロンの犬小屋で、自分の子供たち3匹に
看取られて亡くなっていました。

白と茶トラ模様の、優しい猫でした。

朝見つけた時には、まだ
体が柔らかかったので
早朝に亡くなったのかもしれません。

風邪をひいてはいましたが、
食欲もあるほうで体も大きかったので
以前の2匹ほど心配していなかったのですが・・・
もしかしたら、心臓発作だったのかもしれません。

メス猫やこどもたちの面倒見がとても良い猫で、
よくガールフレンドを私に紹介しにきてくれました。

時には、お腹を空かせたメス猫や
こどもたちを従えて、
「こいつらに何か食べさせてやって下さいニャ~!」
と半分抗議(?)しに、
ベランダにやってきました。

ご飯を食べ始めても、メス猫や子猫たちが来ると
いつもゆずっていました。
そして最後に残りを食べるのです。
だから、弱い猫たちに慕われていました。

この猫は家の中で飼っている3匹のおじいちゃんです。
箱に入れてあげると、3匹がすぐやってきました。
「だれ?」「なに?」「誰のにおい?」といった感じです。

柔らかい足を少し曲げて、まるまったところを見ると
まるで寝ているかのようです。



一緒に来ていたメスや幼猫たちが
困るだろうな・・・と思いました。

野良猫の世界では、
強いオスがメスや子猫たちにえさ場を教えてあげて、
他からやってくるオスを撃退(?)することで
血縁はなくても、ファミリーのようになるからです。

それにしても、
最期を実のこどもたちと
一緒に過ごせる野良猫が、
いったいどれだけいるでしょうか。
本当に不思議です。

・・・独りでなくて、よかった。

犬小屋に入れていた湯たんぽで、
少しは温かい夜を過ごせたかな。

ああ、さみしいなあ。
毎日のように見かけていたのに。

でも、お疲れ様。
みんなの面倒をみて、
甘えさせてあげて、
偉かったよね。

そういえば、亡くなる2日前に
家の中に入ってきたがったね。

ご飯を誰にも取られることなく、
ゆっくり食べたかったのかな。
身体が弱っていたからね。
ぐっすり眠りたかったのかな。

私は飼い猫たちに風邪がうつるのが怖くて、
あなたを家の中で看病しなかったんだ。
それほど具合が悪いと思っていなかったのもあるけど。

私は自分の恐怖心に負けて、
あなたが必要としていたものを
与えることができなかったの。

ごめんね。

私にもっと余裕があったらな。
それとも、2匹の看病で疲れちゃったのかな。
ほどほどにすればよかったのかな。

何が良いのかなんて、誰にもわからない。

何がベストかなんて、誰も知らない。

どんな決断をしても、
いつも小さな後悔が残る。

ああしてればな、
こうだったらな。

家の中で看取った猫だって、
最後の瞬間に一緒にいられなかった
子猫がいる。

どうして私は最期の瞬間にこだわるのだろう。

マロンのときは独りでは絶対に逝かせない、
必ず最期は一緒にいるんだ、と誓っていた。

そうして、そうなった。

彼は育児放棄された犬だったから、
余計に私のエゴがそうさせたのかもしれない。

あるがままでいいのだ、と言うのは簡単だけど
誰かを失うかもという時には
なかなかそうはいってられない。

私のエゴはいつも理想を目指そうとする。

そして、理想通りにできない自分を想像して
行動する前にやめちゃうんだ。
「やっぱり、無理だ。やめとこう。」ってね。

最期に、家に入れてあげる勇気がなかった私を許してね。
お兄ちゃん、最後まで優しかったね。








2015/03/05

与えること



まずは、こちらの動画をどうぞ。




2013年の作品なので、
ご覧になったことがある方も
多いかもしれません。

コマーシャルなんですけどね、
何度見ても泣きます。

あの小さかった彼のお母さんは亡くなったのかな?
だから医者になったのかな?
自分が貧しかったから、貧しい人たちを診てあげているのかな。
助けてもらった恩を忘れてなかったんだな。

いろんな思いがよぎります。

人は自分に与えられた
無償の愛からの行為を
忘れることはないのだろうな。

その行為が無償の愛だと
わからなかったとしても、
忘れてしまったとしても、
心のどこかに、いつも
存在し続けるんだろうな。

そんなことも思います。

家で飼っている4匹の猫のうち、
長女のさくらちゃんは
私が悲しいとき、必ずそばに
やってきます。

別の部屋にいても、わかるのでしょうね。
必ずやってきて、
「ニャ~?(どうしたの?)」
と話しかけてくれます。

他の猫が毛玉を吐こうと
ゼエゼエ言って身をかがめている時も、
さくらちゃんは必ず「どうしたの?」と
そばに行きます。

本当の無償の行為は
損得をまったく考えないで
相手のために動けることでしょうか。

それを何度も受け取れたら、
きっとその人との間には素晴らしい
信頼関係が生まれるのかな、
と思います。




本日のメッセージ

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。こんにちは、中村久美恵です^^ 今日もあなたが目覚めるメッセージ♡お届けします。 ...