2014/11/25

最期の時




最期の夜が思い出された。

ふと、思った。
私は、よく頑張った。よく頑張ったのだ。
私はたった一人で彼を看取った。絶対独りでは行かせない、となぜか理由はわからないが、以前から固く誓っていた。


彼からひとときも離れたくなくて、実家に電話さえしなかった。トイレにさえ行くことを忘れた。夜中の午前二時十五分に看取って、お葬式が終わって帰宅するまで、一睡もしなかった。というより、眠れなかった。文字通り、私は彼につききりで看取ったのだ。

よくがんばった、私。よくやり遂げた。
そして、泣きながら自分をハグした。両手を肩に巻きつけて、泣いた。
本当によく頑張った。よくやった。
たった一人で、心細かったね。
わからないながら、よくやったね。

動けなくなってしまってから、腕枕をしてあげられた。
一人で抱えて、柔らかい布団の上に運んであげた。マロンはもう、力が入らなくて、いつもよりずっと、重く感じたね。
胃腸炎で、痛かっただろうお腹をさすってあげた。お腹や胃の痛そうなところに手を当ててもあげた。
その間、ずっと心細かった。本当は誰かに一緒にいてほしかった。
でも、耐えた。たった一人で。
私、よくがんばったね。
怖かったね。よくがんばった。

そして、泣いた。
後から後から、涙があふれてきた。
私は自分に厳しすぎたのだろうか。

あんなことも、こんなことも一緒にしたかった。
あそこに行って、こんなことをして、もっともっと思い出を増やしたかった。
もっと食べ物に気を使ってあげていたら、もっと早くアレルギー検査ができる遠くの動物病院に連れて行っていたら、もっと、もっと・・・。

こんな時、後悔だけが頭を覆いつくす。マザー・テレサは、どれだけ沢山のことが出来るかではなく、小さなことを、心を込めてやりなさいと言っている。どれだけ沢山できたかではない。
それなのに、もっと行動できたはずなのに、もっと調べたらよかったのに、もっと、もっと・・・。エゴがどこまでも私を責める。
そうせずにはいられなかった。




2014/11/13

ラジオ



マロンがいなくなってから、家は恐ろしく広くなった。
信じられないほど広くなって、どこで何をしていいかまったくわからなくなった。
実際には同じ家なのに。

彼のエネルギーがいかに大きかったか、いかに私の中で大きな位置を占めていたかに改めて気付かされ、愕然とした。どの部屋にも、彼の美しいエネルギーが満ちていた。なのに、実物はいない。どこを探してもいない。


部屋の空虚感をなくしたいと、ラジオをつけ始めた。音が何かを満たしてくれるかもしれないと思った。


外出したものの、急に怒りに襲われ、帰宅することが何度も続いた。玄関に入るなり、泣いた。
スーパーに行けば肉売場に近づけなかった。彼のためにいつも何がいいかな、と彼と一緒に食べられる献立を考えながら選んでいたからだった。魚売り場も、野菜売り場も同じだった。

動揺して帰宅して、腹が立って、そして号泣した。なぜ彼が逝かなければならなかったのかわからなかった。なぜ、という理由はまだわからなかった。そして、理由がわからない不明瞭さ、不安を、はっきりさせて安心したい自分の中の自分は、猛烈に腹を立てていた。

ああ、どんなに泣いてもマロンは帰らない。そのとき、朝からずっとつけているラジオから、「いつもあなたのそばにいるよ」という英語の歌が流れてきた。
ふっと一瞬、怒りを忘れた。


猫が私の羽布団に粗相をしたある朝には、「残念だね」という英語の歌が流れてきた。せつなくも、ちょっとユーモアがあって助けられた。

朝ごはんのときに猫が膝に乗ってくることが恒例となったので、去年も使っていたひざ掛けを出してきた。ラジオからは何かの歌が流れていた。マロンを思い出して、何気なくひざ掛けを見ると、彼の白い毛が一本、そこにあった。まだ一緒にいるよ、と教えてくれているようだった。








2014/11/10

何のために生きるのか?

 四七日(よなのか、4回目の7日間=28日目)を過ぎても、自分が生きている意味を探し、あの子が逝った理由を探し続けた。どうしても納得がいかなかった。

 自分は何をすべきなのか、これからどう生きていけばいいのか。私のキャリアは、彼が人生の中心にいてこそ培われる予定のものだった。

 なぜあの時だったのか。国道でふらふら歩いていたのを見つけてから3年だった。

 なぜ私がお見取りをする最後の飼い主だったのか。

 私は彼の治療方法や動物病院をどのようにして選択すべきだったのか。

 誰も答えをくれない、決して答えが見つからない暗闇の中を、あてなくさまよっていた。答えはないと、どこかでわかっていた。けれど、そうせずにはいられなかった。そしてさまよいながら、理由や原因がまったくわからないことに対して、神への怒りを猛然と感じた。励ましてくれる友人やヒーラーや近所の人たちに対しての怒りもこれが発端だと気づいていた。

 なぜ神様は私からマロンを奪ったのか?予定外に、こんなに早く。
 私はそんなにダメな飼い主だったのか?
 そんなにマロンにふさわしくない飼い主だったのか?
 私はどうしたらよかったのか?

 神様はニール・ドナルド・ウォルシュが「私はなぜ生きているのですか?」と質問したときに、こう言った。
「神として生きなさい。」

そして、同じ質問に、エックハルト・トールは言った。
「あなたは今のあなたという形になって存在している。それは私(神)があなたを通して私(神)自身を知ることが出来るからです。生きとし生ける物すべてを通して私(神)を知ることができるからです。」

 私が泣いて悲しむから、神は「亡くした悲しみ」という感情を知ることができるのだ。




あの子がいなくなって初めてわかることがたくさんあった。

あの子の代わりは決していない。これからも決して現れない。どんなにほかの犬や猫達が可愛くても、彼の代わりなど存在しない。あの子は唯一無二の存在だったのだ。彼が私の中でどれだけ大きな位置を占めていたことか。

お金を何百億円積んでも、あの子は戻らない。お金なんてその程度のものなのだ。
広い庭の家があっても、あの子がいなければ意味がない。
彼がいなければ高原のペットペンションへ行く計画も無意味なもの。

どうしてこんなことが、彼が生きている間にはわかっていなかったのだろう?



なぜ、彼がまだまだ生きると思っていたのだろう?

なぜ、彼を「まだ六歳」と思っていたのだろう?多くの人が言った、「まあ、まだ六歳だったの。若かったのにね。」

私もそう思っていた。おかしなものだ。誰だって、今日死ぬかもしれないのに。
朝ごはんを一緒に食べた人が、昼には棺桶に入っていたって何もおかしくない。それが「普通にありえること」なのに、なぜ自分の世界ではそんなことは起こらないと信じて、人は毎日過ごしているのだろう?






私たちの究極の人生の目的

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖私たちの悩みはどんなものでも、自分の内側を見れば必ず解決していきます✨ ****** こんにちは、中村久美恵です^^  暑かったり寒かったり、お天気が一日のうちに目まぐるしく変わり、昼と夜の気温差が15度...