マロンがいなくなってから、家は恐ろしく広くなった。
信じられないほど広くなって、どこで何をしていいかまったくわからなくなった。
実際には同じ家なのに。
彼のエネルギーがいかに大きかったか、いかに私の中で大きな位置を占めていたかに改めて気付かされ、愕然とした。どの部屋にも、彼の美しいエネルギーが満ちていた。なのに、実物はいない。どこを探してもいない。
部屋の空虚感をなくしたいと、ラジオをつけ始めた。音が何かを満たしてくれるかもしれないと思った。
外出したものの、急に怒りに襲われ、帰宅することが何度も続いた。玄関に入るなり、泣いた。
スーパーに行けば肉売場に近づけなかった。彼のためにいつも何がいいかな、と彼と一緒に食べられる献立を考えながら選んでいたからだった。魚売り場も、野菜売り場も同じだった。
動揺して帰宅して、腹が立って、そして号泣した。なぜ彼が逝かなければならなかったのかわからなかった。なぜ、という理由はまだわからなかった。そして、理由がわからない不明瞭さ、不安を、はっきりさせて安心したい自分の中の自分は、猛烈に腹を立てていた。
ああ、どんなに泣いてもマロンは帰らない。そのとき、朝からずっとつけているラジオから、「いつもあなたのそばにいるよ」という英語の歌が流れてきた。
ふっと一瞬、怒りを忘れた。
猫が私の羽布団に粗相をしたある朝には、「残念だね」という英語の歌が流れてきた。せつなくも、ちょっとユーモアがあって助けられた。
朝ごはんのときに猫が膝に乗ってくることが恒例となったので、去年も使っていたひざ掛けを出してきた。ラジオからは何かの歌が流れていた。マロンを思い出して、何気なくひざ掛けを見ると、彼の白い毛が一本、そこにあった。まだ一緒にいるよ、と教えてくれているようだった。
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