2012/04/21

許す

許す。ああ、人生において何て難しいことの一つなんでしょう!

許すことは怒りとセットですよね。よくクライアントさんにお話しすることの1つに「怒りというのは、許すという体験をするために人生に現れる」というのがあります。つまり、何もなければ許す、という体験ができないわけです。

そう考えると、人生はうまくできたものだな、とも思いますが、実際に「もう、許せない!」という状況にいるときにはとてもそんな風には考えられないでしょう。そんなとき、私はクライアントさんに「存分に怒りまくって、怒りを身体で表現する」ことをまずお勧めしています。例えば、新聞紙を筒状にして、枕やクッションを思いっきり叩く。叩いて、叩いて、叩きまくる。これにはコツがあって、めったやたらに叩いていると腰を痛めるので、
  1. 足を肩幅もしくは少し広めに開いて、しっかり立つ
  2. 足裏をしっかり感じる(意識する)
  3. 腰は真上から真下に下ろす
  4. 大きな掛け声をかける(言葉は何でもよい)
  5. 枕またはクッションは誰かに押さえておいてもらい、叩くたびに相手の目を見る
  6. もし一人でやるなら、クッションの後ろに鏡を置いて自分が映るようにし、自分の目をしっかり見る
以上6つを事前にお伝えします。剣道の「メーーーーン!」をイメージしていただくと、その姿勢がわかりやすいでしょうか。掛け声は「バカやろう!」でも「くっそーー!」でも何でも良いのです。この時に、「汚い言葉はいけない」などと思わないこと。自分を表現するために、どんな言葉が必要なのか、そしれそれを外に向かって表現するかどうかはあなた自身が決めることであって、世間の常識や非常識とされるものに左右される必要はありません。新聞紙の筒が破れたら、また新しいものを作って、気が済むまで続けます。

これを真剣にやると、結構息があがって「ぜえ、ぜえ」するくらいになります。時々休みながら、とことん続けます。すると、ある時点で「フッ」と変わります。それは「あっ、そうか!」と突然何かがわかったり、気持ちが落ち着いて自分の中にゆったりした空間が生まれてきたり、「わーー!」と号泣したりと人によって様々です。これが待ちに待っていた癒しの瞬間です。

わかったことをじんわりと受け取ってみたり、頭ではなく心の底から理解することを体験したり、泣きわめいてティッシュを1箱使ってみたりという一連の流れが終了に差し掛かると、やっと、「ゆるし」があなたのそばにきて寄り添ってくれます。怒りの本当の理由はこれだったのか、自分はこんな風に思っていたのか、こんなに○○だったのか、などの発見や理解に到達することで、自分をさらに深く理解したことになります。「だから、許せなかったのか」という原因が普段はわからないくらい深い場所からあなたの元へやってきてくれる、その神聖な体験は、勇気をもって自分の怒りを素直に表現した人のみに与えられる特権です。

許しは、ここからも時間がかかるかもしれません。または、人によってすぐに許せるかもしれません。どちらであっても、あなたは以前のあなたではありません。自分の中にスッキリとしたものが生まれて、何かが新しく変わったことをきっと感じることでしょう。











2012/04/13

立ち上がる

はじかれても、負けない。
はじかれても、あきらめない。
はじかれても、自分の信じる場所にとどまる。

そんなこと、考えたこと、ありますか?

世の中にははじく人とはじかれる人がいます。
はじく人は、何をしたいんだろう?
どうして、何のために、そうするんだろう?

いじめたり、口をきかなくなったり、聞こえるように悪口を言ってみたり。
大人の世界であることは、子どもの世界にも広がります。

こんな話があります。

あるとき、神様がいいました。
「困ったのう~。こんなはずではなかったのだが。。。」
そこに神様の弟子がやってきました。
「どうしたんですか、神様?」
「実は、この世を創るときに愛と平和が広がるようにと作ったのだが、どうやら、争いが始まってしまった。」
「なぜなんでしょう?」
「う~ん、何者かが、嫉妬の壺を開けてしまったらしい。」
「あの、光の洞窟の一番奥に隠しておいた壺ですか?」
「そうなんじゃよ。困ったのう。」
「では、私が行ってみてまいります!」
「うむ、頼んだぞ。」

そうして弟子はこの世にやってきました。
光の洞窟の一番奥へやってくると、やはり、壺のふたが開けられていました。
「誰が、どうして、こんなことをしたんだろう?」
そこへ一人の男がやってきました。
「あ!お前が壺を開けたんだな?」
「いや、違う。私は神様の弟子だ。誰が壺のふたを開けたのか、調べに来たんだ。」
「そうか、お前ではないのか。まったく、困ったことになったものだ。」
「いったい、誰がこんなことをしたのだろう?」
「さあな。でも、平和だった村が変わってしまった。人々は争うようになって、だましあいをしたり、弱い者をいじめるようになってしまった。どうしたものだろう。」
そこへ、一人の若者がやってきました。
「村長、またみんなが言い争いをしています。どうしましょう?」
「なんだって?ああ、困ったものだ。どうしたものか。」
「私が行ってみましょう。」
神様の弟子は2人と一緒に村へと向かいました。

「いったい、なぜみんな争うようになったのですか?」と弟子がみんなに問いかけました。
みんな、そっぽを向いて、何も言いません。
「なぜ、みんな話してくれないのですか?」
みんな、弟子のことをわざと無視します。
「私は神様のお使いで来たのです。みんなが争っているのを見て、神様は心を痛めておられます。」
「なんだよ、」誰かが言いました。「そんなこと知らないよ。」
「そうだ、そうだ!神様が何だ!」みんなが口々に言いはじめました。
神様の弟子はとても悔しかったのですが、あきらめません。

「みんな、誰が光の洞窟にある嫉妬の壺を開けたのですか?」
「知らないよ。探しても無駄だよ。」
「そうだよ、誰も知らないよ。」
神様の弟子はそれでもあきらめません。
「みんな、私はみんなを懲らしめるために来たわけじゃないんだ。誰が、どうして、何のために壺を開けたのか、それを知りたいんだ。」
これを聞いて、みんな黙りこくってしまいました。
神様の弟子は思いました。「みんな、誰がふたを開けたのか、知っているに違いない。でも、みんなわざと黙っているのだな?」
神様の弟子は言いました。「誰かをいじめたり、おとしいれたり、だましたりするために来たわけじゃないんだ。なぜ壺のふたを開けたのか、それを知りたいんだ。」

後ろのほうから、とても貧しそうな女の子が出てきました。
「君がやったのかい?」
「ええ。」
「なぜ、こんなことをしたの?嫉妬の壺は、決して開けてはいけないよ、と神様から言われていただろう?」
「ええ。でも、神様を困らせたかったの。」
「なぜ、神様を困らせたかったんだい?」
「だって、神様は・・・」女の子は真剣なまなざしで弟子を見ました。「神様は、わたしのお母さんを連れて行ってしまったから。」
洞窟にやってきた若者が弟子に言いました。「この子のお母さんは3日前に、病気をわずらって死んでしまいました。この子には、誰も家族がいないんです。」
「そうだったのか・・・。」弟子はため息をつきました。もう、後戻りはできません。いったん、壺のふたが開けられてしまったなら、元に戻すことはできないのです。

神様の弟子は村長に向かっていいました。
「村長、私は帰って神様にこの女の子のことを伝えます。壺のふたをもとに戻すことはできないけれど、昔はこうだったんだよ、とみんなに伝えていくことはできます。これからは、いじめやだましがあるでしょう。けれど、仲良くすること、正直でいることだってできる、ということをみんなに伝えていきましょう。そして、平和に暮らしていけるようにみんなでつながりましょう。」
「ああ、そうだなあ。そうだなあ。」村長は目に涙を浮かべていました。
「あの子のことは家族のように面倒をみていくよ。どうもありがとう。」

弟子は神様の元へ帰りました。
「神様、戻りました。」
「ああ、ご苦労じゃったな。」神様はにこにこしていました。
「神様、ぜんぶご存じだったのですね。」
「お前があきらめるかと思ったがのう、ははは。」
「なぜ、あの子は独りぽっちになったのですか?」
「それはのう、」神様が言いました。「あの子のおかげで、みんながまた、仲良くなるからじゃよ。それにのう、」神様は続けました。「あの子には、自分のために立ち上がる強さがあるんじゃ。今は種じゃがの。」
「そうでしたか。」神様の弟子はよかった、という安堵の表情を浮かべました。
「わしが造った世界じゃからのう、愛と平和が広がるようになっとるんじゃよ。。。」

女の子は美しく、芯の強い女性に成長しました。弱い者たちには優しく、いじわるをしたり、だましたりしようとする者たちには、厳しくそれをたしなめる賢い女性になりました。やがて、女性を慕う人々が大勢集まるようになって、そこには素晴らしい村が出来たそうです。

私たちは自分の中に「何かのために立ち上がる強さ」を秘めています。それは、思いもよらない出来事に遭遇して初めて浮上するものかもしれません。または、人生の大きな出来事がきっかけになるかもしれません。

いずれにせよ、誰の中にも、「ころんだら、石をつかんで起き上がる」強さがあることには違いありません。

2012/04/12

磨き上げる

ピカピカのガラス、気持ちいいですよね。
磨き上げられた銀食器は美しい光を放って、手に持つ人を映し出します。
原石を磨き上げると、宝石になります。

魂を磨いていくと、どうなるのでしょうか。

魂もピカピカになります。それは、人やどうぶつの場合、内側から外側にあふれ出てきます。
文字通り、輝いてみえます。愛されているペットは優しく豊かな表情をしています。かまってもらえないペットは一人のとき、さみしい表情をしていたり、すぐ他のペットに怒ったりします。

美しいエネルギーは美しいものを引き寄せます。
類は友をよぶ、と昔の人が表現したとおりです。

自分を磨く、というは10か国語話せるようになることではないし、(話せることは素晴らしいことだけれど、それはゴールではない、ということです。)身体がかたいのに難しいヨガのポーズをこなすことでもありません。

自分を磨く。
あなたにとっては、どうすることが自分磨きですか?何が、自分を磨くことになりますか?

何かに一生懸命になること。これは自分を磨いている最中によく起こることです。
よく、「寝食を忘れて没頭する」などという表現がありますが、本当に忘れなくてもいいのです。
何か1つ、真剣に取り組むことは魂を美しく磨き上げてくれます。

前から苦手だった人と、ほんの少しだけ、会話してみる。これも、魂を磨いてくれます。実際に話をしてみる、という行動を通して、あなたが相手の何を苦手だったのかというのを明確にしてくれます。最初から、ものすごく苦手な人と長話をするのではありませんよ。ほんの少し苦手だった人でいいんです。無理しないで。

夜、日記を書いてみる。1日を振り返って、感じたこと、行動したこと、思ったことなどを書き出してみます。日記は大事な自己表現の一端で、特に自分の感情を明確に知ることができます。普段ほとんどの人は考えることが多いでしょうから、ここでは、とくに感情を書き記してみるとよいでしょう。

出来ることから少しずつ。何もしなければゼロだけど、一つやってみると一歩前に進みます。
大人がやると、子どももやり始めます。良いお手本になる必要はありません。ただ、自分のためにやりましょう。



私たちの究極の人生の目的

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖私たちの悩みはどんなものでも、自分の内側を見れば必ず解決していきます✨ ****** こんにちは、中村久美恵です^^  暑かったり寒かったり、お天気が一日のうちに目まぐるしく変わり、昼と夜の気温差が15度...