許すことは怒りとセットですよね。よくクライアントさんにお話しすることの1つに「怒りというのは、許すという体験をするために人生に現れる」というのがあります。つまり、何もなければ許す、という体験ができないわけです。
そう考えると、人生はうまくできたものだな、とも思いますが、実際に「もう、許せない!」という状況にいるときにはとてもそんな風には考えられないでしょう。そんなとき、私はクライアントさんに「存分に怒りまくって、怒りを身体で表現する」ことをまずお勧めしています。例えば、新聞紙を筒状にして、枕やクッションを思いっきり叩く。叩いて、叩いて、叩きまくる。これにはコツがあって、めったやたらに叩いていると腰を痛めるので、
- 足を肩幅もしくは少し広めに開いて、しっかり立つ
- 足裏をしっかり感じる(意識する)
- 腰は真上から真下に下ろす
- 大きな掛け声をかける(言葉は何でもよい)
- 枕またはクッションは誰かに押さえておいてもらい、叩くたびに相手の目を見る
- もし一人でやるなら、クッションの後ろに鏡を置いて自分が映るようにし、自分の目をしっかり見る
これを真剣にやると、結構息があがって「ぜえ、ぜえ」するくらいになります。時々休みながら、とことん続けます。すると、ある時点で「フッ」と変わります。それは「あっ、そうか!」と突然何かがわかったり、気持ちが落ち着いて自分の中にゆったりした空間が生まれてきたり、「わーー!」と号泣したりと人によって様々です。これが待ちに待っていた癒しの瞬間です。
わかったことをじんわりと受け取ってみたり、頭ではなく心の底から理解することを体験したり、泣きわめいてティッシュを1箱使ってみたりという一連の流れが終了に差し掛かると、やっと、「ゆるし」があなたのそばにきて寄り添ってくれます。怒りの本当の理由はこれだったのか、自分はこんな風に思っていたのか、こんなに○○だったのか、などの発見や理解に到達することで、自分をさらに深く理解したことになります。「だから、許せなかったのか」という原因が普段はわからないくらい深い場所からあなたの元へやってきてくれる、その神聖な体験は、勇気をもって自分の怒りを素直に表現した人のみに与えられる特権です。
許しは、ここからも時間がかかるかもしれません。または、人によってすぐに許せるかもしれません。どちらであっても、あなたは以前のあなたではありません。自分の中にスッキリとしたものが生まれて、何かが新しく変わったことをきっと感じることでしょう。
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