2012/02/07

チャトランと私(4)

子供のうちに片目になったチャトランは、少し高い場所から飛び降りるときに失敗することがありました。左右のバランスがとりにくかっただろう、と思います。「猫なのに、かわいそう。」とそのときは思っていました。けれど、本人はまったく気にする様子もなく、ずっこけた着地の態勢からそそくさと歩いていきました。

せっかく残った片目が、ケンカのせいで腫れて、「やっと見える」くらいしか開かなくなったとき、「これはマズイな。」と思いました。オスはなわばり争いの喧嘩があるし、目が見えにくいと、若い元気な猫になわばりをとられてしまうからです。「夜は必ず帰ってきなさいね。」と言い含めても、外に置いた箱にいないことがよくありました。そういうときは「怪我をして、帰れないんじゃないか。」と心配しました。

今でも気がかりなのは、チャトランが「自分が家族から嫌われて家に入れなくなった」と思っていなかったかどうかです。青年期になって家を出るようになったころから、マーキングをするようになったのでチャトランは外猫として飼われることになりました。本当なら避妊手術をして、一生家の中で飼えば良かったのかもしれませんが、避妊手術に不賛成だった家族は彼に手術をしませんでした。これは良い・悪いではなく、飼い主の価値観なのでなかなか難しいところです。

柴犬ハチの散歩にでかけると、チャトランはいつも一緒についてきました。車の通る道を歩くので、「危ないからお帰り!」と何度もいいましたが、つかず離れずの距離で、ハチと私の後をチョロチョロ歩いてきたことを思い出します。きっと、ハチのことを「大きな猫」と思っていたのでしょうか。自分も仲間に入りたかったのでしょう。

動物と一緒に住んでいると、「心が通じたのかな?」と思うようなことが多々あります。それぞれは小さなことですが、そして、偶然かもしれないのですが、どうしてもそう思えるときがあります。

チャトランがきちんとトイレをしてくれたとき。
チャトランが布団の足元から移動したとき。
チャトランがチビを優しくむかえたとき。

彼はいったい何を思っていたのでしょうか。

チャトランは天使になった今でも、ときどき私の元を訪れてくれます。そういうときは、夜、布団の足元に近づいてくる重さを感じます。やわらかい毛布をフミフミしてから、やがて、私の足元に丸くなる重みを感じます。「ああ、来たんだな。」と思うと同時に、「あのとき、本当は一緒に寝たかったんだなあ。」と生きていた1年前のことを思い出します。

ペットが亡くなると「もっと優しくしてあげればよかった」とか「もっと言うことを聞いてあげればよかった」などと、飼い主として自分を責めることがあります。私も「あのとき、重くても我慢して、一緒に寝てあげればよかった」と思ったことがあります。でも、今おもうのは、あのとき我慢していたとしても、きっとチャトランはそれを見抜いただろう、ということです。

ペットを1度迎え入れたなら、本当に愛しているよ、ということを何度も何度も伝えてあげることはとても大事なことです。何度伝えても、多すぎるということはありません。(人間もそうですね)そして、最後の瞬間まで看取ってあげる勇気と意思が必要だと思います。

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【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。こんにちは、中村久美恵です^^ 今日もあなたが目覚めるメッセージ♡お届けします。 ...