2015/03/08

ささやかな幸せ




先日、お誘いを受けまして
二胡(にこ)の演奏会に
お出かけしてきました。

弦が2本しかないのに、
どうしてあんなに多様な
音が奏でられるのか、
素人の私は感心しきりでした。

月琴(げっきん)やギターも含めて
22曲が披露されたのですが

不思議なことに
曲を聴いていると
美しいヴィジョンが浮かびました。

それは牛と人間が働く水田を
夕陽が美しく照らしている様子だったり

田舎の農村の畑を走り回るこどもの
楽しそうな風景だったのですが

それは、曲と演奏者が創り上げた、
肉眼では見えない美しい芸術でした。

曲目が進み、
「見上げてごらん夜の星を」の曲が
奏で始められると、
今度は美しい夜空が広がりました。
(私の第6チャクラで見てます)

そして、突然わかりました。

ああ、マロンは星になって
私を見守ってくれてるんだ。
いつも、よく見てくれてるんだ。
必ず、見てくれてるんだ。

よく、こどもの絵本とかで
ありますよね。
あれは本当なんだな、って
感じたんです。

変ですよね。でも、それは
ひらめきにも似た、
「ただ、そうだと知っている」
という感覚です。

疑う余地が全くない、
ただ、とにかく、そうだと知っている、
そんな感じでした。

涙が浮かんできて、
この演奏会に来たかいがあったな、
このメッセージを受け取りにきたのかも、
と感動しました。

音楽はしばしば、天国からの
メッセージを人間に伝える際に
利用されます。

言葉やメロディであなたに伝えたいことを
はっきりとわかりやすく伝えられる
一つの手段だからです。

久しぶりに聞いた曲だったので、
もう一度聞きたいと思って
動画を探しました。

夏川りみさんの歌もすごくよかったのですが
添付ビデオの坂本九さんの笑顔に
何とも泣かされました。

彼の歌は魂に響くなあ、
と改めて思います。

歌詞も素敵です。

”小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを歌ってる”

”ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを願ってる”

毎日の生活に
ささやかな幸せを
たくさん見つけられたら
私たちはもっと
幸せになれるのではないでしょうか・・・。







2015/03/07

ミニオン




何を隠そう、わたしはミニオンが好きです。
世界最強のヴィラン(悪者)に尽くすのが
ミニオン最大の生きがい。

オーナーのグルーの仕事から家事から
子育てまで、すべてをこなす彼らが
数人、家にいてくれるだけで
どれだけ助かることでしょう!

猫のトイレ掃除、ご飯やおやつの準備、
家事全般に買い物に外出時のドライバーまで
ぜんぶ助けてもらえる!(はず・・・)




この黄色い変な生き物を最初に見たのは、
BBSHのクラスが終わってマイアミから
帰国する機内(の映画)でした。

このバナナ好きなミニオンには
何と、一人ひとり名前があるんです。
ケビン、デイブ、スチュワート、ボブなどなど。

最近、スパイ映画も見尽くして、
何を見ようかとDVDコーナーを
物色していたところ、
キッズコーナーでこの黄色いものが
私の目を惹きました。

「あれ~、どこかで見たような・・・」

どこだったかな~、と考えるうちに
飛行機の映画を思い出し、しかも
すでに第2弾が出ていることに気づき、
時の流れを感じる次第・・・。

卒業してから、今年の6月で早4年・・・

「久しぶりに見てみようかな。」

狭いエコノミーの席で大好きな友達と
隣同士に座って、寝たり、食べたり、
おしゃべりしたりと15時間近くを
過ごしたっけ。

今年は第3弾がスピンオフとして
上映されるので、映画館に
見に行きたいなあと思っています。

多分、夏休みのこどもたちに
囲まれて見ることになるのでしょうか・・・




2015/03/06

エゴと後悔



野良猫2匹を見送った後に
「(お看取りは)悲しいけれど、やめない。」
という気持ちがよりはっきりしました。

自分に出来ることで役立てるなら、
というゆるぎない気持ちが生まれたからです。

それから数日後、オスの野良猫が
マロンの犬小屋で、自分の子供たち3匹に
看取られて亡くなっていました。

白と茶トラ模様の、優しい猫でした。

朝見つけた時には、まだ
体が柔らかかったので
早朝に亡くなったのかもしれません。

風邪をひいてはいましたが、
食欲もあるほうで体も大きかったので
以前の2匹ほど心配していなかったのですが・・・
もしかしたら、心臓発作だったのかもしれません。

メス猫やこどもたちの面倒見がとても良い猫で、
よくガールフレンドを私に紹介しにきてくれました。

時には、お腹を空かせたメス猫や
こどもたちを従えて、
「こいつらに何か食べさせてやって下さいニャ~!」
と半分抗議(?)しに、
ベランダにやってきました。

ご飯を食べ始めても、メス猫や子猫たちが来ると
いつもゆずっていました。
そして最後に残りを食べるのです。
だから、弱い猫たちに慕われていました。

この猫は家の中で飼っている3匹のおじいちゃんです。
箱に入れてあげると、3匹がすぐやってきました。
「だれ?」「なに?」「誰のにおい?」といった感じです。

柔らかい足を少し曲げて、まるまったところを見ると
まるで寝ているかのようです。



一緒に来ていたメスや幼猫たちが
困るだろうな・・・と思いました。

野良猫の世界では、
強いオスがメスや子猫たちにえさ場を教えてあげて、
他からやってくるオスを撃退(?)することで
血縁はなくても、ファミリーのようになるからです。

それにしても、
最期を実のこどもたちと
一緒に過ごせる野良猫が、
いったいどれだけいるでしょうか。
本当に不思議です。

・・・独りでなくて、よかった。

犬小屋に入れていた湯たんぽで、
少しは温かい夜を過ごせたかな。

ああ、さみしいなあ。
毎日のように見かけていたのに。

でも、お疲れ様。
みんなの面倒をみて、
甘えさせてあげて、
偉かったよね。

そういえば、亡くなる2日前に
家の中に入ってきたがったね。

ご飯を誰にも取られることなく、
ゆっくり食べたかったのかな。
身体が弱っていたからね。
ぐっすり眠りたかったのかな。

私は飼い猫たちに風邪がうつるのが怖くて、
あなたを家の中で看病しなかったんだ。
それほど具合が悪いと思っていなかったのもあるけど。

私は自分の恐怖心に負けて、
あなたが必要としていたものを
与えることができなかったの。

ごめんね。

私にもっと余裕があったらな。
それとも、2匹の看病で疲れちゃったのかな。
ほどほどにすればよかったのかな。

何が良いのかなんて、誰にもわからない。

何がベストかなんて、誰も知らない。

どんな決断をしても、
いつも小さな後悔が残る。

ああしてればな、
こうだったらな。

家の中で看取った猫だって、
最後の瞬間に一緒にいられなかった
子猫がいる。

どうして私は最期の瞬間にこだわるのだろう。

マロンのときは独りでは絶対に逝かせない、
必ず最期は一緒にいるんだ、と誓っていた。

そうして、そうなった。

彼は育児放棄された犬だったから、
余計に私のエゴがそうさせたのかもしれない。

あるがままでいいのだ、と言うのは簡単だけど
誰かを失うかもという時には
なかなかそうはいってられない。

私のエゴはいつも理想を目指そうとする。

そして、理想通りにできない自分を想像して
行動する前にやめちゃうんだ。
「やっぱり、無理だ。やめとこう。」ってね。

最期に、家に入れてあげる勇気がなかった私を許してね。
お兄ちゃん、最後まで優しかったね。








私たちの究極の人生の目的

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖私たちの悩みはどんなものでも、自分の内側を見れば必ず解決していきます✨ ****** こんにちは、中村久美恵です^^  暑かったり寒かったり、お天気が一日のうちに目まぐるしく変わり、昼と夜の気温差が15度...