2012/07/11

三匹の子猫と私(2)

それから数日。相変わらず、夕方になるとピャーピャー鳴いていた猫たちですが、あるとき、小屋のスライド式ドアの隙間が、せまくなっているのに気づきました。あれでは、親猫が来ても小屋のこどもたちにミルクをあげることができません。

「誰かが来たんだなあ。見つかったか・・・。」でも、まだ鳴き声がするということは、あそこにいるということ。愛犬とともに、子猫たちがどうなったのかを見てみることにしました。

ドアに続く物置き場は、30cm~40cmほどに伸びた雑草でいっぱいでした。愛犬のために、草を根っこから踏みつつ前進して、やっと、ドアにたどり着きました。

そおっと、ドアをスライドしてみると・・・なんと、子猫たちは以前と違って、ドアのすぐそばに移動していました。しかも、1匹いない!しかし、よく聞くと、鳴き声は3匹分なのです。床の下かどこかに落ちてしまったのでしょうか。

心配ながらも、2匹をたたみの奥へ戻そうと手をのばしかけると、それよりも早く、1匹の子猫が30cmはあろうかという小屋と地面の段差を転げ落ちてきました。

「あっ!」。見るとピャーピャー鳴きながら、必死に歩き、私の右足の甲へとたどり着きました。大きな声で鳴きながら、私には「助けて!」とも「何かちょうだい!」とも聞こえました。しかし、ここで人間のにおいがついてしまうのはまずい、と瞬間的に思いました。

幸い、愛犬の散歩で軍手をしていたので、そのまま、そおっと子猫をつかんで元のたたみの上(もう1匹は怖そうに待っていました。)に戻しました。何て勇気がある子猫なんでしょう!

こんどはスライドドアを親猫も通り抜けできるくらいに開けたまま、子猫たちの鳴き声をききながら、愛犬と私は小屋をあとにしました。


「あとの1匹は、どうしたかなあ?」。子猫が靴の甲にしがみついてきた日から、姿が見えなかったもう1匹が心配でした。どこかに挟まって、出てこれなかったら?親猫はちゃんと助けられただろうか?凝りもせず、私は再度の訪問を決めました。

何か食べ物を持って行ってあげたい気持ちも起こりましたが、わたし以外の人間がすでに子猫たちに気づいていることがわかっている以上、注意しなければなりません。猫が好きな人なら安心しても、猫を邪魔に思っている人なら捨ててしまうでしょう。

とりあえず、見に行ってみよう。そう、思って小屋まで出かけました。




2012/07/01

三匹の子猫と私(1)

その声は、物置から聞こえてきました。物置は、原っぱの近くの、少し小高いところに2つあります。


ぴゃー、ぴゃー、という子猫の高い鳴き声。私には母親を探して呼んでいるように聞こえました。親猫が、あそこで子猫を生んだのでしょうか。それとも、誰か人間に捨てられたのかもしれません。愛犬と散歩しながら、声の聞こえる物置をちらちらと見ながら、通り過ぎました。


3日目。声が聞こえていると安心するようになりました。まだ生きてるんだな。でも、あんなに鳴いていたら、誰かに見つかってしまうな。母猫はミルクをあげているのかな。


4日目。ついに物置を見てみることにしました。そおっとドアをスライドすると、手のひらに載るくらいの子猫が3匹、真ん中くらいにかたまっていました。


子猫たちは、こちらを驚愕の表情で見ていました。生まれて初めて見る、犬の顔。(私の愛犬です)驚きのあまり声がでないまま、口をパクパクさせて「にゃー、にゃー!」(だれだ、来るな!)と言っていました。


ドアの隙間から外に出てこないように、あわてて閉めました。人間や犬の匂いがついてしまうと、母猫が警戒して近寄らなくなってしまうかもしれません。母猫のために、猫が通れるくらいの隙間は空けておきました。

見てわかったことは、物置には古い畳がしいてあって、私が想像していたより居心地が良さそうだということ。そこは何年も使われていなくて、誰かが入った跡がないということ。つまり、猫がそこで赤ちゃんを産んだ可能性が高い、ということでした。


私は少し、安心しました。母猫がたぶんいるのだろう、と思ったからです。

その後数日、気を付けて聞いていると、子猫たちは朝や昼間は鳴いていないことに気づきました。夕方になると鳴いていたので、きっと、その頃おなかが空いていたのでしょう。

近所のお散歩仲間たちも気づいていて、「ああ、あそこで声がするよね。」とお互い話をしました。話の最後はきまって、「誰かに見つかって、捨てられなければいいけどねえ。」でした。自分たちは犬を飼っていて、正直手いっぱい。子猫が可愛いのは認めるけれど、飼う余裕がない、というのが本音でした。

また、近所で猫を外飼い(えさだけ与えて、家の中には入れない。ベランダに段ボール箱等を置いて、猫の家にしている状態。)しているお宅があって、その猫たちが自分たちの庭に入ってきて、トイレをしていく、という不満を抱えてもいました。

賃貸の場合、猫を飼うには気を遣うことが多いですよね。ふすま、柱、床、たたみなどでの爪とぎ。これは猫の本能なので、やめさせることは出来ません。爪とぎを買って置いてみたところで、自分が気に入らなければ使ってくれません。

夏は窓を全開にする家が田舎では多いので、子猫の鳴き声がうるさい、という場合もあります。おまけに猫は夜行性です。

外に出たいとニャーニャー鳴けば、出してやりたいのが親心。でも、オス猫の場合はそれが領地争いの始まりになるので、一度出すと、再び出すことになります。そうすると、他の家に入って行って、トイレをしてしまいます。

犬のうんちも匂いますが、猫のそれは犬の比ではありません。うちも玄関のアプローチに堂々とされていたことが数回あり(苦笑)、探し出すまで本当に苦労しました。

よって、本当に、本気で猫を飼うなら、ずばり、「室内飼い」しかないのです。そして、犬のように小さな首輪とリードをつけて、ときどき外に出してあげるしかありません。そんなの、可哀想!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、毒だんご等をまいて猫がこないようにする人間がいることを思えば、室内飼いにするのが無難です。

だいじょうぶかなあ、と心配する日々が、それからも数日、続きました。



2012/06/27

今日は、いまの私。

次の記事も、次の次に書きたいこともちゃんとメモしてあるのですが、なかなか言葉が始まりません。

子猫たちのこととか。
むくどりのこととか。
つばめたちのこととか。
魚屋のおじさんのこととか。(笑)

ネタは他にもたくさんあるのですが、わたしの中でなかなか始まりません。
結果がないんです。(ネタなのに?)で、書きにくいなー、と感じる自分がいます。
でも、書きはじめているので、もう少し待っててくださいね。



ここを訪れてくださる方が少しずつ増えてきて、嬉しいです。

わたしはツイッターをしていて、おもに、どうぶつ関連の方をフォローしています。そういう方のつぶやきを見ていると、本当にどうぶつ愛護に熱心な方が多くて、頭がさがります。そして、感謝したくなります。特に、行政や自治体、法律がらみの案件は変化するまでが本当に大変なのですが、あきらめずに行動を続けていらっしゃる方々に心から感謝したいと思います。

私自身も愛玩動物飼養管理士の資格(いまは2級です)を今年1月に取得しました。BBSHを卒業見込みとなった時点で、自分らしく手当てヒーリングをやっていくためには、どんなことが出来るかな?と見直し始めた矢先、さまざまな情報を検索していて、同資格のことを知りました。

何もしないよりはマシ、それに動物の解剖学をもっと勉強したいと願っていたころでした。おかげさまで、法律から飼育方法まで、多岐にわたって学ぶことができました。犬猫のほかに、ウサギ、ハムスター、鳥類、爬虫類まで。

自分で飼ったことがあるのは犬猫までなので、現在のところは手当てヒーリングも犬猫で承っています。けれど、それ以外の動物をヒーリングしてほしいとご希望のお客様がいらっしゃって、そういった動物たちをまだヒーリングした経験がない私でもかまわない、とおっしゃってくださる方がいらしたら、ぜひお声がけいただきたいと思います。出来る限りのことをさせていただきます。



愛犬をヒーリングするたびに思うのは、どうぶつの素直さとエネルギーに対する敏感さです。必要なら受け取り、十分になったら、すくっと起き上がったり、向きを変えたりして「もう、いいよ。」と知らせてくれます。3分のときもあれば、10分のときもあります。

自分のペットに人生相談をする人が全体の85%いる、という記事をインターネットで読みました。わたしは以前からこれには賛成できません。彼らは言葉を理解しなくとも、そのエネルギーに敏感に反応します。ネガティブな相談をして、飼い主は助かることでしょう。相手は無条件の愛で飼い主を受け止めてくれますから。

でも、そのペットはどこへ相談するのでしょうか?

「最近、わたしの飼い主は愚痴ばかり聞かせるんです。会社のことや、同僚のこと、果てはガールフレンド(ボーイフレンド)と別れたとかなんとか・・・。もう、耐えられません!」

もちろん、私のところへ来てくださっても構いませんが(笑)、飼い主さんには、ペットにもストレスがたまるということを忘れて欲しくはないのです。だまって聞いてくれている、目の前のペットがあなたのネガティブなエネルギーの影響を何ひとつ受けていないと思わないでほしいのです。

彼らの無条件の愛は、病気になって現れます。ある日、突然、大病をわずらうわけではありません。(事故以外は)人生相談(内容にもよりますが)や愚痴は、ネガティブなエネルギーを呼び、幸運を呼んできてくれるわけではありません。

20代、30代という働きざかりの人たちが、自ら命を絶つことの多い社会。米国のように、働く人があたりまえのようにカウンセラーへ(愚痴を聞いてもらうために)通ったり、メンターやコーチ、指圧師やマッサージ師、セラピストなど数人を自分の「お抱えチーム」として持っていることは大事です。

みなさんも、どうか、良いチームを創り上げてくださいね。



私たちの究極の人生の目的

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖私たちの悩みはどんなものでも、自分の内側を見れば必ず解決していきます✨ ****** こんにちは、中村久美恵です^^  暑かったり寒かったり、お天気が一日のうちに目まぐるしく変わり、昼と夜の気温差が15度...