2012/05/25

のら犬と私(1)

その日、めすの迷子犬を見かけました。買い物帰り、車からチラッと見えたのは大きなバイパス道路をふらふらと歩いている、赤い首輪をした犬で、遠目にも、あばら骨が見えました。足は枝のように細くて、長いことまともに食べていないようでした。

いったん家に帰ったものの、どうしても気になって、ペット用自転車(前かごが大きくて、15kgくらいまでの犬猫なら安全に乗せられる設計になったバッグ付き)で犬を見かけた場所まで行ってみました。

「いた、いた。」大きな道路からいっぽん裏に入った、川沿いの道路をスタスタ歩いていました。どこか目的地があるのか、足取りは「急いでいる」ように見えました。

自転車で近づきましたが、すぐに逃げてしまいます。追いかけて、逃げられ、追いかけて、逃げられ。初夏の日差しが降り注ぐ中、ついに犬は断念しました。私に首輪をつかまれて、リードにつながれました。水を持っていた私は、小さな容器に移し替えて犬が飲みやすい場所に置きました。

飼い犬だったことは明らかですが、捨てられたのか、逃げてきたのかはわかりません。名札はつけていませんでした。「ああ、名札さえつけていたら帰れるのに・・・」。帰る家がこの犬にとって幸せな場所かどうかはわかりませんが、名札さえつけていたら、自宅に戻れるのです。私が今、飼っている犬も、名札をつけていませんでした。保護して1か月後に会った飼い主さんは、「そんなこと(逃げ出す)になるとは、思っとらんけん!」と私に言ったことを今でも覚えています。福岡県は一昨年まで犬猫の殺処分が全国ワースト1位でした。それだけ、県民の税金を使っていることになります。

とにかく、家に連れて帰る前に動物病院へ連れて行こう。もしかしたら、飼い主さんが探していて、病院の「探しています」掲示板に何か情報があるかもしれない。そう思った私は、暑い日差しの中、自転車を押しながら犬と歩き出しました。なぜ自転車を押しながらかというと、犬はあまり人懐こいタイプではなく、とてもかごの中には入れられなかったからです。

少し行ったところで、小学生の女の子2名が話しかけてきました。「その犬、噛みますか?」。自分の犬ならいいけど、この犬はなあ・・・。私は通常、こどもが犬を触らせてほしいと言ってきたら、愛犬の様子を見ながら快諾します。それは、私の犬がこども好きだから。でも、この犬はわかりません。用心のため、女の子たちには「この犬はわからんよ。さっき、川の横でつかまえたけん。」と言いました。好奇心と人助け(犬助け?)の花がぱっと満開になったように、女の子たちは私を質問攻めにしました。どうしてつかまえたのか、どこから来たのか、なぜ1匹で歩いていたのか、飼い主さんはどこにいるのか。全部の質問に答えた後、これから病院へ連れて行くのだと言うと、女の子たちは「わたしたちも行く!!」。お昼どきだし、お母さんが待っているのでは?というと、「まだお腹すいてないもん!」。その場所から、動物病院までは10分とかからないので、お供してもらうことになりました。




2012/05/20

カラスとかちがらす(4)

ヒナのお墓を作ってから数日。いつのまにかカラスのお見合いシーズンは終わったらしく、辺りは再び静かになりました。かちがらす夫婦の巣はそのままありますが、もうカラスはいません。そのうち、電力会社の人たちが巣を撤去することでしょう。

さらにその数日後。この原っぱの草取りの日がやってきました。ご近所さんの誰かが草刈り機で事前に草をきれいに刈ってくれていたので、当日はごみ袋に枯れ草をつめこむだけとなりました。

人がいなくなった後のきれいになった芝生に、小さなすずめたちが降りてきました。きっと、この春に巣だった若いすずめなのでしょう、まだ体つきが小さいようです。そして、若いかちがらす夫婦も降りてきました。すずめはとても怖がりな鳥なので、すずめのいる場所なら安全なのだろう、ということで降りてきたのかもしれません。

かちがらすは一度夫婦になると一生をともに添い遂げます。少し小さめの、若いカップルを見て、「2人で安全な場所を見つけなさいね。」と心の中で話しかけました。かちがらすは行ったり来たりしながら、芝生をつついていました。

動物は、いつか必ず死にます。それは、ヒナのようにどうしようもない状況で若い命を落とすのかもしれないし、寿命を全うしてのことかもしれません。ごはんをもらえない猫でも、散歩に連れていってもらえない犬でも、自殺することはありません。だからこそ、ペットを飼ったなら、私たち人間が食べ物を与え、健康に気を遣い、幸せにする義務があります。

人間に飼われても、不幸なペットはたくさんいます。飼養拒否されて、ろくにごはんをもらえない、体は全身ダニでびっしり、散歩には行かない、小屋の周りに用を足しても掃除してもらえないまま、ブラシなどかけてもらったことがないという犬を私は知っています。飼養拒否はりっぱな虐待なのですが、当の飼い主たちはいっこうにそうとは思っていないようです。

動物を飼うには「余裕」と「知識」が必要です。時間的余裕、金銭的余裕、心の余裕がないと、ペットにつらく当たってしまいます。知識がないと、ペットを飼っても病気にしてしまうかもしれません。それどころか、具合の悪いことに気づかないまま数年が経過、ということさえありえます。

これからペットを飼おうと思っていらっしゃる方には、必要に応じて、近所の人に応援を頼む(つまり、頼めるようなご近所付き合いを普段からしておく)、評判の良いペットシッターを事前に探しておくなど、自分が「余裕をもって、自分の生活ができる」ようにしておくことをお勧めします。ペットシッターはとてもありがたいのですが、自宅の鍵を渡すことに抵抗がある人々はまだまだ多くいることでしょう。特に都会で女性の一人暮らしとなると、ちょっと考えてしまいますよね。だからこそ、ご近所つきあい、友人つきあいが功を奏します。動物病院や病気の治療法なども同様ですが、実際に経験した人たちからの情報はとても役に立つものです。ぜひ、普段からの人間関係をペット目線で見直してみてはいかがでしょうか。



2012/05/18

カラスとかちがらす(3)

愛犬の美しい眼差しで我に返った私は、あらためて、深呼吸を1つしました。

しょうがないのだ。これが自然だから。でも、自然は残酷だな。
カラスも山に食べ物がないのだ。しょうがないんだよな。
でも、悔しいな。あと少しで、飛び立てたのに。
あと、少しだったのに・・・。

あと少しで、「完璧」だったのでした。予定通りに行くはずだった、のです。

人は誰でも、「予定通りに行く」ことが好きですよね。問題なくスムーズにいくと、安心していられます。特に命がかかわっているならば、それは非常に重要なこととなります。でも、ここで大事なのは、予定通りにいって嬉しいのは、かちがらすの親と私(!)で、カラスにとっては違ったということです。立場が変われば、すべてが変わります。

かちがらす夫婦からヒナを奪ったカラスたちは、私からえさを奪われました。誰かにしたことが、自分たちに返ってきました。これを宇宙の法則というのでしょうか・・・。

翌日、同じ場所を見てみました。かちがらすの巣には数羽のカラスが陣取り、出たり入ったりしていました。自分たちの産卵に使うつもりでしょうか。

原っぱには乾燥した緑のお布団が残っていました。私はビニール袋を持参して、お布団ごとヒナを持ち帰りました。そして、裏庭のあじさいのそばに、ヒナを埋めました。「ここならね、カラスに見つからないからね。あじさいで隠れるから。お父さんとお母さんの巣からは少し遠いけどね、ごめんね。」そう言って、うず高く土を盛って、犬がその場所を掘らないようにしました。

心なしか、いつもより多くのカラスが自宅を監視しているように感じました。実際には、数日前から非常に多くのカラスが近所に来ていたので、私の思い過ごしでしょう。ご近所の方いわく、「最近多いでしょう?この時期はカラスのお見合いなのよ。」ということでした。それでも、いつもは静かな辺りにカラスの鳴き声がこだまするのは少し気味の悪いものでした。

カラスはなぜ、草をかけたヒナに、1羽も近よらなかったのでしょうか。私は「しつこく、またやってくるかも。」と予想したのです。彼らは目で獲物を探すことが知られています。ヒナが急に消えてしまった、と理解したのでしょうか・・・。



きっかけを思い出すこと

そもそも、これを始めたのはどうしてだっけ?
どんないきさつやきっかけがあったのだっけ?

こんな風に、ときどき思い出してみると、思わず初心に帰れます。そして、すっかり忘れていた出来事を思い出したりもします。瞑想はそれを楽にできるよう、助けてくれます。何かの雑誌で読みましたが、最近は企業の経営者の間でも瞑想が流行っているらしいですね。誰にも頼らず、未来を左右する決断を強いられる経営者には鋭い直感を磨く必要があるということでしょうか。

さて、私は読むこと・書くことが好きなのですが、あまりに当たり前すぎて、つい最近まで自分がそれらを「好き」なのだとは夢にも思っていませんでした。日常でブログを書いたり、FacebookやTwitterに書き込みをしたり、ホームページを作成したり、自分にとってはあまりに当たり前なことなわけです。そんなときに、第三者である友人の意見に驚かされました。

「紅美ちゃんは文章書くの上手だから、いいよね~。」
「ブログなんて、書くのが好きでないと続かないよ~!」

私って、文章書くのが上手なの?!
普通は続かないものなの?!

ブログは2004年くらいから始めました。途中、使用していたブログの会社経営が変わったり、「ええーい、もう、こんな古い自分とはおさらばだ!」となぜか思い立ったりして削除してしまったものもあります。けれど、ずっと続いているのは書くということ。ポエムや、日常の出来事、または瞑想で見たお話だったりと様々な内容ではありますが、書くということ自体、なぜか「止められない」のです。今朝の瞑想で、その原点を思い出しました。

小さな女の子が図書館の本棚と本棚の間に座りこんで本を読んでいます。小さいときの私です。ギリシャ神話、ローマ神話が大好きで、全巻読破しました。読むことが楽しいと心から思っていた頃です。それから、祖父が入院した病院へ両親に連れられてお見舞いに行ったシーンになりました。薄暗い廊下に、大人用のスリッパを履いた私の足音がパターン、パターン、と響いていたのがちょっと怖かったのを思い出します。そしてそれを作文に書いたのでした。

作文は見事に何とか賞をいただき、文集に記載されたのでした。私が初めて、自分のクリエイトした作品を他人に認めてもらった瞬間でした。しかし、そのときは周囲から褒められたものの、自分としては経験したこと、心に残ったことを素直に書いただけなので、なぜ褒められるのかがわかりませんでした。

瞑想がすごいのは、ここで終わらないところです。現在の大人の自分がみた視点から、この子供のころの出来事を感じることができるのです。実際、わたしは何とか賞をいただいた時の小さな自分を再度感じました。大人のまま子供の心を感じてわかったことは、実は、この時の私は本当は、とてもとても嬉しかったのだ、ということです。けれど、あまり喜ぶと周りのお友達から冷たくされるかもしれない、仲間はずれになるかもしれない、だから目立たないようにしよう。そういう防衛本能から、思いきり喜ぶことを止めてしまったのです。

目立つ事への恐怖というのは、団結や団体を重んじる日本人には多いのかもしれません。欧米のような個人主義の国では、また違うのでしょうね。

あの時の自分は、本当は、こんなに嬉しかったのだ。
それがわかったとき、なぜ自分が書くことを止めないのかがわかりました。そうして、それを続けてよいのだ、と快く自分を許すことができました。1日の中で、自分に「書く」という時間を与えてあげる。それは自分の創造性を発揮させて表に出してあげることにもなります。

ルイーズ・ヘイの本によると、女性の場合、創造性は内臓でいうと卵巣とも関係があります。(まさに、赤ちゃんを創造する臓器ですね!)現代女性は卵巣に問題を抱えている人が多いと思いますが、まさにこれではないでしょうか。

自分の人生において、創造性を発揮したいもの、ことを再度思い出す。大事なことです。





2012/05/15

カラスとかちがらす(2)

ヒチコック映画さながらの原っぱをよく見ると、歩道沿いにカラスが輪になって「ぎゃあ、ぎゃあ!」とけんかするように騒いでいます。上空ではかちがらすの夫婦が仲間を呼ぶように必死で鳴いていました。

「!」。 ピンときた私は犬と一緒に、カラスが集まっている場所へ猛ダッシュしました。だいたい、カラスがたくさんいるだけでも気持ち悪い風景なのに(カラスファンの方、ごめんなさい!)そのうえ、想像を絶するうるささ。騒いでいるカラスは犬と人間の登場で、一斉に飛び立ちました。

はたして、そこにあったのは、立派は羽が数本残った、かちがらすのヒナでした。ああ、やっぱり・・・。巣立ちまであと少しだったのに・・・。首や胴から出血していて、すでにこと切れていました。

「はあ~。」重いため息をついて、しゃがみました。ああ、どうしようもなかったね。まだ飛べなかったのにねえ。ごめんね。救ってあげられなかった親を恨むかい?でも、親もどうしようもなかったんだよ。どうか、許してね。

動かないヒナに心の中で許しをこい、これで怖い思いをすることのない世界に行けたことを祝福しました。でも、残念でなりません。ちいっくしょー!といくら悔やんでも、何もできないのです。がっかりしながらも、これ以上、ヒナがつつかれないように、手当たり次第に草をちぎって集め、上からそっとかけてあげました。緑色のお布団をかぶったヒナに、カラスは一羽も近づきませんでした。

親はすべてを知っていて、何でもできるかのように子どもは思います。少なくともそう信じているでしょう。でも、大人でも知らないことはあるし、できないことはあるのです。子どもの命を守れないときだってあります、動物も、人間も。ヒーラーとしてクライアント(患者)を救えない時だってあります。要は、この3次元の世界では「限界がある」ということです。これを受け入れるのは、ときに辛いことです。

電線には相変わらずカラスが真っ黒に並んで止まっており、近所の家の屋根、アンテナなどにも数羽ずつ止まって、うるさく鳴き続けていました。この時ほど、カラスが憎く見えたことはありません。私は完全にかちがらす派でした。こんな大勢で、たった2羽のかちがらすから大切なヒナを奪ったのか!許せん、卑怯者!

実際にはほんの数羽のカラスが巣を襲ったのかもしれません。でも、その時に多くのカラスがいたために、私は真実ではなく、状況から思い込みをしました。同時に、自分の人生で「裏切られた」経験が関係していることも、頭のどこかで自覚していました。小さなこどもが経験する、大人からの辛い裏切り。それは例えば、隠しておいた宝箱をゴミと勘違いされて捨てられるようなものです。

怒りにメラメラと燃える私を、愛犬は「どうしたの?」という顔で見上げていました。こんな時、動物と一緒にいると本当に助けられます。私は愛犬の不思議そうに私を見上げる目を見て、地に足がつきました。怒ることを「頭に血が上る」と表現しますが、まさに、エネルギーも上に上ります。大地から離れそうになったとき、善悪など判断しない犬が、いったい私がどうしたのか不思議そうに見上げたのです。




本日のメッセージ

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。こんにちは、中村久美恵です^^ 今日もあなたが目覚めるメッセージ♡お届けします。 ...