2015/02/15

愛の日に寄せて


昨日はバレンタインでしたね。私はInstagram(kumienakamura)をやっているのですが、そこでも多くのHappy Valentine!というメッセージを目にしました。海外にいる友人にとっては私の15日が彼らの14日だったりするので、2日間の間、Happy Valentine's Day!というメッセージを多く受け取り、心が温かくなりました。


今朝のことですが、私の家の庭にオスの野良猫がやってきました。毛は汚れて、体や足のあちこちで抜けてしまい、皮膚が見えています。この時期は寒いだろうなあ、と気になりました。


さらによく見ると、前足の一部がたんこぶのように大きく腫れて、痛みから3本足でゆっくりと歩いているのに気づきました。おまけに体全体がものすごく臭います。


けれど、この野良猫が教えてくれたことがあります。それは、どんなにひどい人生でも、その人(猫)には「生きる価値がある」ということです。


私はマロンを亡くしてから、自分を責め続けていた時期がありました。悪いことが良い人(動物)に起こる事実を経験しました。許せない自分をついに許せたのは、「こんな自分でも、まだ世の中に提供できるものがあって、それができる限り、まだ生きている価値がある」からだと気づいたからです。

それは自分自身に対する「信頼」を受け取れた日でした。自分は確かに生きる価値があることを「信用」できた日でした。庭の野良猫はそれを思い出させてくれます。


愛の日に寄せて、すべての生き物が愛される価値があると思えますように。
親切や真心、愛を受け取る価値が自分にはあるのだ、と思えますように。




2015/02/08

小さな存在

人間とは、何て小さな存在なんだろう。
愛する存在を助けることさえできない。

助けられない。
治せない。
変えることもできない。

なのに、なぜ誠心誠意、文字通り全力で
誰かを助けようとするのだろう。

ヒーラーは、クライアントを助けることなどできないのだ。
助けられない。
治せない。
変えることもできない。

なのに、なぜ誠心誠意、さらには期待さえ抱かずに
クライアントのために全力を尽くすのだろう。

ヒーラーとは、何てかけがえのない存在なのだろう。

何とか助けたい、などと思わずに、
例え相手が肉体を離れることを選んだとしても、
それが最善なのだと
相手のために喜べる存在。

それでも、人として、両極端な思いは同時に存在する。

甘いものと苦いもの。
白と黒。
自分を責める声とよくやったと褒める声。

これらの両方を認めることができるからこそ、
辛く悲しい別れを体験しながら、
今までお疲れ様、と相手を思いやる気持ちが
同時に存在する。

ヒーラーである前に、人間とは、
限りなく小さな存在で、
短い一生において大したことはできない。

それでも、その一生は無意味ではない。

私はマロンを救うことは出来なかったし、
変えることもできなかった。

けれど、その悲しみを細胞の一つ一つで体験すると
(良い意味で)自分が大した存在ではない、と
認めることができるようになった。

謙虚さを持ちながらも、決してあきらめない強さを
同時に持つことができるようになった。

相手が変わることを期待せず、
ただ自分が正しいと信じることを
ひたすらやり遂げる。

それができれば、短い一生でも
十分ではないか。








2014/12/18

もし会えたら



マロンが亡くなって3か月が経った。
毎月、23日を前にすると心が痛む。
同時に、自分のエゴについて感じずにはいられない。

何もしたくなくて、ある日、
DVDを借りてみた。

海外ドラマを見ているうちに、ふと、
英語の勉強になるなぁ、と気づく。

イギリス英語もアメリカ英語も、
ドラマから日常会話を知ることができる。

Sherlockはとてもよくできたドラマだった。
世界中で人気のわけがわかる。

見逃していた映画もたくさん見た。
その都度、映画を通して
心に響くメッセージが届いた。

映画に使われていた音楽も
気に入ったものをダウンロードした。

ああ、自分は芸術が好きだったのだ、と
改めて思い出す。

映画を見たり、
音楽を聴いたり、
舞台を鑑賞したり、
写真を撮ったり。

誰かの評価を気にせずに、
ただ楽しむことを忘れていたことに
気づかされる。

リラックスしているつもりで、
何時になったら何をしなくちゃ、と
予定を立てている自分に気づく。

「保証は何もない」。
スーパーバイザーが言ってくれた言葉だ。

夫婦関係も、
親子関係も、
恋人同士も、
友人関係も、
コンパニオン・アニマルも。

幸せが永遠に続くという保証は
どこにも、何もない。

なのに、人は「関係」を求め続ける。
なんて勇気がある動物なんだろう。

マロンを亡くしてからは、
人と関わるのはとても辛かった。

スーパーバイザーは
「たっぷり時間を取りなさい」、と
勧めてくれた。

そして、好きな人たちと距離を置くことは、
お互いを守るためだった。

悲嘆を奥底に抱えている人を
100%そのままの状態で
受け入れられる人は限られる。
悲嘆は瞬間的に伝染するからだ。

その瞬間、人はこう言う。
「元気をだしてね。」
「だいじょうぶ、乗り越えられるから。」

けれど、自分で悲劇を乗り越えた人たちは違う。
何も言わない。
黙って、ただ、そばにいて、
そして共感してくれる。

縁があって家に来た
4匹の猫たちは
決してマロンの代わりではない。
マロンの代わりは、どこにもいない。

それでも、時々涙する私のそばにきて
頬を流れる涙に興味を示して
「だいじょうぶ?」と心配してくれる。

マロンはこの子たちを
決していじめたりしなかった。
生きていたら、きっと、
迷惑そうな顔をしながらも
優しく接していただろう。

マロン、会ったら、その
ふかふかの体を
しっかりと抱きしめたい。






本日のメッセージ

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。こんにちは、中村久美恵です^^ 今日もあなたが目覚めるメッセージ♡お届けします。 ...