2012/07/30

向き合う

向き合うっていうのは、無意識に避けるときがありますよね。
例えば、病気。
例えば、誰かの死。
例えば、不意に起こった出来事。
心の準備ができていなくて、現実を直視できないとき。

一番大きくて、一番越えられなさそうな、山。
もう、エベレスト級の。(笑)
最近、これを超えるコツ(?)を習得しました。

まず、一人ではやらないこと。
仲の良い友人や家族に話を聞いてもらいます。
自分の考えや思いを、冷静に受け止めてくれる人を探します。
これは、つらいことを乗り越えるには、必ず温かさが必要だからです。

次に、口に出して言ってみます。
例えば、病気だったら、「私はこの病気を治す!」とか。
そのときの自分からしたら、あまりにも前向きすぎて、内心、「いやいや、無理っしょ!」と思うことを、実際に口に出して言ってみます。

どうしても言えなかったら、そばにいる友人や家族に、先に言ってもらいます。3回以上言ってもらって、その言葉を心に留めるように、しっかりと耳の奥まで浸透させます。
それから、自分が言ってみます。

自分が言うときは3回以上、出来るだけたくさん言います。
最初はささやき声くらいでも大丈夫です。少しずつ声を大きくしていって、最後は他人に自己紹介をするときのような普通の会話の声で言います。

時間は好きなだけかけて構いません。例えば、親しい人の死などに直面した場合は、その悲しい事実を認めるのに数年、数十年かかることだってあります。

けれど、自分の中で「この山を乗り越える」と、はっきり意図していれば、時期がきたときに自然とこのようなことが言えるようになります。

言ってみるとわかるのですが、意外と普通に聞こえたりするのです。
あんなに難しい、到底無理!と思っていたことなのに「あれ?」と思うほどだったりするのです。

もし、いまあなたが辛いことを抱えていたら、まずは親切で貴方の話を真剣に聞いてくれる友人を一人、探しましょう。(そんな人がいなかったら、最寄りのお寺にでも駆け込んで!)

そして、「まったくもってムリ!」と思うような、でもどこかで自分が理想としている何かを、声に出して3回、言ってみてください。3回言えたら、もう3回、言ってみてください。できたら、〆にもう3回。

きっと、自分のエネルギーが少し変わったのを感じますよ。



2012/07/25

犬の番外編


老人と犬

あるとき、リードなしで歩く老人と犬を見ました。老人はとても痩せていて、片足が悪いのか、少しびっこ気味にゆっくり、ゆっくり歩いていました。そして、その老人と前後しながら、大きな黒い老犬がゆっくりゆっくりと歩いていました。犬の背は地面から人間の腰ちかくまであったでしょうか。


愛犬と散歩中にこの2人(?)と再会したときは、緊張しました。リードなしの大型犬というのは、他人を不安にさせます。愛犬も相手が大きいので、ちょっと心配そうに様子をうかがっていました。ところが、その大型犬は「自分は無害ですよ。」と愛犬に伝えて、そそくさと飼い主の老人の後を追いかけました。きっと、自分より若いオス犬と、関わり合いたくなかったのでしょう。


老人に話しかけたことがありました。
「あら、ひもなしで大丈夫ですか?」
「ああ、これはなーんもせんけんね。」
老人はそういうと、道端のにおいをかいでいる老犬を少し待ってから、一緒に歩いていきました。

そうなのか、と関心しつつも、やはり一抹の恐怖心を抱えたまま、私は愛犬と散歩を続けました。近くの原っぱで、よく会う品の良い年配の女性と会いました。さきほどの老人と老犬の話をすると、

「とんでもない!あの犬は私の髪を噛んだのよ!」


どういうことかと尋ねると、足の悪いその女性は、大きな犬がリードなしでやってくるのを遠くに見かけ、あわてて庭先から玄関に向かいました。もともと、犬は苦手だったからです。老人が通り過ぎるときに、「だいじょうぶですよ、この犬はなーんもせんけん。」と、私に言ったのと同じセリフを女性に言ったのですが、犬は背中を向けた女性に追いつき、立ち上がった姿勢で髪の毛を噛んだのだそうです。


わたしは、彼女の話を聞いて、驚きました。小柄な年配の女性なら、あの犬が立ち上がれば頭部までゆうに届く。なぜそんなことになったのだろう?犬は何と言いたかったのだろう。


飼い主が自分の犬に寄せる信頼って、何だろう?とちょっと考えさせられた一件でした。





老人と犬(2)

あるとき、リードを斜め掛けしている老人を見かけました。へえ、田舎で(そんなしゃれたリードを使っている人がいるなんて)めずらしいな、と思い、犬に目をやると、なんと、土佐犬でした!

大きな土佐犬を散歩させている老人は、肩からショルダーのようにひもをかけ、さらに犬の首輪にもリードをかけて2重にしていました。これは、知らない人が見ても、気を遣っているのがわかるなあ、と遠目に感心していました。

ただ、その土佐犬は大きかったものの、歩き方から、やや年老いていることがわかりました。老人は強い口調で「ほら!」とか「こら!」とかいいながら、犬に引っ張られないようにしていました。老人は小柄でした。

実はわたしは、それまで本物の土佐犬を見たことがありませんでした。公園近くで初めて見かけたときに、あまりの大きさに驚いて、思わず「なんていう種類の犬ですか?」と老人に質問しました。犬の特徴ある顔が、ちょうど見えなかったからです。


老人は少し怒ったように「これか?土佐犬じゃろ!」と言いました。おまえ、土佐犬もわからんのか!と言いたげでした。

わたしはその声に、老人の悲しみも感じました。きっと昔は大きくて元気で勢いがあった犬だったのでしょう。けれど、どんなに強かった犬も、年とともにやせてきたり、足取りが弱くなったりします。老人は愛する犬が強かったときの、自慢の土佐犬に見られなかったことがはがゆかったのでしょう。

人間よりも早く年を取る犬たち。白内障になったり、耳が聞こえなくなったり、痴呆症が始まったりします。昔のような美しい毛艶がなくなり、やせてきます。

そんな風に変わってしまっても、最期まで大事に家族の一員として飼われてほしい、と切に望みます。



三匹の子猫と私(3)

最後に訪れた日から数日後、ふたたび私は小屋を訪ねました。今度は自分だけでした。

「あ。」イヤな予感。スライド式ドアが、きっちりと閉められています。まさか・・・。

静かに近づいても、子猫たちの鳴き声はしません。そおっと開けると、子猫たちはいませんでした。ふと気づくと、手前に母猫が出産した後のような形跡がありました。そっか。ここで産んだんだ。

誰かに連れて行かれたのでしょうか。それとも、母猫が1匹ずつ咥えて、どこか別の場所に子猫たちを移したのでしょうか。わかりません。

各地の保健所の所轄にある「動物管理センター」。ここで一番多いのは、子猫の殺処分だそうです。私は以前、地元の動物管理センターで、子猫の鳴き声とともに、大きな大きな麻袋(大人がしゃがんで入るくらいの大きさ)が、もぞもぞ動いていたのを見たことがあります。

たくさん生まれる野良猫たち。けれど、昔のようにえさをやって地域で育てているところは今、めったにありません。むしろ、増える猫たちが迷惑だということで、「野良猫にえさをやらないでください」という看板を見かけたりします。きっと、むかしの家にはねずみが出たりしていたので、猫が重宝されていたのでしょう。

猫たちがどこかで生きているなら、いまごろはもう大人になっているころです




2012/07/11

三匹の子猫と私(2)

それから数日。相変わらず、夕方になるとピャーピャー鳴いていた猫たちですが、あるとき、小屋のスライド式ドアの隙間が、せまくなっているのに気づきました。あれでは、親猫が来ても小屋のこどもたちにミルクをあげることができません。

「誰かが来たんだなあ。見つかったか・・・。」でも、まだ鳴き声がするということは、あそこにいるということ。愛犬とともに、子猫たちがどうなったのかを見てみることにしました。

ドアに続く物置き場は、30cm~40cmほどに伸びた雑草でいっぱいでした。愛犬のために、草を根っこから踏みつつ前進して、やっと、ドアにたどり着きました。

そおっと、ドアをスライドしてみると・・・なんと、子猫たちは以前と違って、ドアのすぐそばに移動していました。しかも、1匹いない!しかし、よく聞くと、鳴き声は3匹分なのです。床の下かどこかに落ちてしまったのでしょうか。

心配ながらも、2匹をたたみの奥へ戻そうと手をのばしかけると、それよりも早く、1匹の子猫が30cmはあろうかという小屋と地面の段差を転げ落ちてきました。

「あっ!」。見るとピャーピャー鳴きながら、必死に歩き、私の右足の甲へとたどり着きました。大きな声で鳴きながら、私には「助けて!」とも「何かちょうだい!」とも聞こえました。しかし、ここで人間のにおいがついてしまうのはまずい、と瞬間的に思いました。

幸い、愛犬の散歩で軍手をしていたので、そのまま、そおっと子猫をつかんで元のたたみの上(もう1匹は怖そうに待っていました。)に戻しました。何て勇気がある子猫なんでしょう!

こんどはスライドドアを親猫も通り抜けできるくらいに開けたまま、子猫たちの鳴き声をききながら、愛犬と私は小屋をあとにしました。


「あとの1匹は、どうしたかなあ?」。子猫が靴の甲にしがみついてきた日から、姿が見えなかったもう1匹が心配でした。どこかに挟まって、出てこれなかったら?親猫はちゃんと助けられただろうか?凝りもせず、私は再度の訪問を決めました。

何か食べ物を持って行ってあげたい気持ちも起こりましたが、わたし以外の人間がすでに子猫たちに気づいていることがわかっている以上、注意しなければなりません。猫が好きな人なら安心しても、猫を邪魔に思っている人なら捨ててしまうでしょう。

とりあえず、見に行ってみよう。そう、思って小屋まで出かけました。




2012/07/01

三匹の子猫と私(1)

その声は、物置から聞こえてきました。物置は、原っぱの近くの、少し小高いところに2つあります。


ぴゃー、ぴゃー、という子猫の高い鳴き声。私には母親を探して呼んでいるように聞こえました。親猫が、あそこで子猫を生んだのでしょうか。それとも、誰か人間に捨てられたのかもしれません。愛犬と散歩しながら、声の聞こえる物置をちらちらと見ながら、通り過ぎました。


3日目。声が聞こえていると安心するようになりました。まだ生きてるんだな。でも、あんなに鳴いていたら、誰かに見つかってしまうな。母猫はミルクをあげているのかな。


4日目。ついに物置を見てみることにしました。そおっとドアをスライドすると、手のひらに載るくらいの子猫が3匹、真ん中くらいにかたまっていました。


子猫たちは、こちらを驚愕の表情で見ていました。生まれて初めて見る、犬の顔。(私の愛犬です)驚きのあまり声がでないまま、口をパクパクさせて「にゃー、にゃー!」(だれだ、来るな!)と言っていました。


ドアの隙間から外に出てこないように、あわてて閉めました。人間や犬の匂いがついてしまうと、母猫が警戒して近寄らなくなってしまうかもしれません。母猫のために、猫が通れるくらいの隙間は空けておきました。

見てわかったことは、物置には古い畳がしいてあって、私が想像していたより居心地が良さそうだということ。そこは何年も使われていなくて、誰かが入った跡がないということ。つまり、猫がそこで赤ちゃんを産んだ可能性が高い、ということでした。


私は少し、安心しました。母猫がたぶんいるのだろう、と思ったからです。

その後数日、気を付けて聞いていると、子猫たちは朝や昼間は鳴いていないことに気づきました。夕方になると鳴いていたので、きっと、その頃おなかが空いていたのでしょう。

近所のお散歩仲間たちも気づいていて、「ああ、あそこで声がするよね。」とお互い話をしました。話の最後はきまって、「誰かに見つかって、捨てられなければいいけどねえ。」でした。自分たちは犬を飼っていて、正直手いっぱい。子猫が可愛いのは認めるけれど、飼う余裕がない、というのが本音でした。

また、近所で猫を外飼い(えさだけ与えて、家の中には入れない。ベランダに段ボール箱等を置いて、猫の家にしている状態。)しているお宅があって、その猫たちが自分たちの庭に入ってきて、トイレをしていく、という不満を抱えてもいました。

賃貸の場合、猫を飼うには気を遣うことが多いですよね。ふすま、柱、床、たたみなどでの爪とぎ。これは猫の本能なので、やめさせることは出来ません。爪とぎを買って置いてみたところで、自分が気に入らなければ使ってくれません。

夏は窓を全開にする家が田舎では多いので、子猫の鳴き声がうるさい、という場合もあります。おまけに猫は夜行性です。

外に出たいとニャーニャー鳴けば、出してやりたいのが親心。でも、オス猫の場合はそれが領地争いの始まりになるので、一度出すと、再び出すことになります。そうすると、他の家に入って行って、トイレをしてしまいます。

犬のうんちも匂いますが、猫のそれは犬の比ではありません。うちも玄関のアプローチに堂々とされていたことが数回あり(苦笑)、探し出すまで本当に苦労しました。

よって、本当に、本気で猫を飼うなら、ずばり、「室内飼い」しかないのです。そして、犬のように小さな首輪とリードをつけて、ときどき外に出してあげるしかありません。そんなの、可哀想!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、毒だんご等をまいて猫がこないようにする人間がいることを思えば、室内飼いにするのが無難です。

だいじょうぶかなあ、と心配する日々が、それからも数日、続きました。



本日のメッセージ

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。こんにちは、中村久美恵です^^ 今日もあなたが目覚めるメッセージ♡お届けします。 ...