2012/03/29

モコちゃんと私(3)

小さな小さなモコちゃんは、本当にお年寄りでした。歯がほとんどなかったのですが、食欲はあったので、猫用のレトルト(シーチキンがさらに柔らかくなって、細かくほぐされているようなもの)を一生懸命食べて(飲んで?)いました。「誰も取らないから、ゆっくりお食べ。」と言っても、必死に食べていました。

目もあまり見えてなかったかもしれませんが、動きは敏捷(びんしょう)でした。膝の上にのってくると、服を通して爪がチクッとすることがありましたが、なかなか切らせてくれず、ついに切らないままでした。一度も爪を切られたことがないから、何をされるかわからず、怖かったのでしょうね。

そんな甘えん坊なモコちゃんとのお別れは、突然やってきました。

私はその頃、BBSHという学校でハンズ・オン・ヒーリングを習っていて、各月で1週間ずつ、家を空けていました。その日は家に帰る日で、待合ロビーへ向かって歩いているところに携帯がなりました。電話は母親からで、モコちゃんが具合が悪くて、多分駄目だろう、という電話でした。いったい、どうして、そんなことが?と詳しく話を聞きたいものの、せめて自分が到着するまで待ってほしい、そう願って母親にいくつかのエッセンシャルオイルを使ってみるよう勧めてみました。

母親は私と話したあと、オイルを実際に使ってくれました。その時のことを、こう話してくれました。
「不思議だったわ。ラベンダーのにおいを嗅いだら、目をつぶっていたモコちゃんが、パッと目を開けたのよ。ずっと寝てたのに。驚いたわ。」
ラベンダーは旅立つ前の人に使うと、本当に安らかな気持ちになれる、と聞いたことがあります。猫のモコちゃんが実際どうだったのか、知る由もありませんが・・・。モコちゃんは前日、日当たりが良い場所で日向ぼっこをするために外へ出ていたのですが、どうやら寒さがたたったようでした。2月でした。

家について、小さな箱に入ったモコちゃんと対面しました。白いティッシュをふわふわと回りに入れてもらって、モコちゃんは白いお花に囲まれているようでした。「あなたに会いたかったでしょうけどね。。。」と母親が言いました。既に手足は固くなっていました。私は大きな声でわんわん泣きました。

もっと可愛がってやればよかった。
もっと早くに家の中へ入れてあげればよかった。
もっと、もっと・・・と自分を責める言葉が沢山でてきました。
こうなる前に、もっと。

動物が好きな方なら、ペットロスの辛さは想像がつくと思います。私はこのとき、BBSHの卒論で自分が「ペットロス」について書くとは夢にも思っていませんでした。どんなに小さな生き物でも、その短い人生を一生懸命に生きます。他の動物に食べられたり、怪我をさせられたりすることはあるかもしれませんが、人間のように自殺したり、わざと相手を傷つけたりすることはありません。

「どうせ猫でしょ」、「所詮、犬だから」などと言わずに、小さな命を大事に大事にしてあげてください。小さくても、尊い命なのです。


2012/03/11

モコちゃんと私(2)

ショレショレのボロぞうきんみたいになっているモコちゃんは黙って抱えられ、そのままお風呂場へ直行しました。風邪をひかないようにと母が手早く洗うかたわら、私はタオルをたくさん準備しました。

タオルで包まれたモコちゃんはストーブの前で身体を拭かれました。ちいさくて、あばら骨がよくわかりました。

フカフカの毛皮に戻ったモコちゃんは、それでも小さくなっていました。「やっぱり、年をとったんだね~」と母親と話しました。毛皮に艶はなくなって、量も減って、ふたまわりくらい小さくなった感じでした。


モコちゃんは若い時、それはそれは美しいチンチラ三毛猫でした。長毛種特有のふわふわした長い毛皮で、本当のからだの大きさより何倍も大きく見えました。オス猫相手でも喧嘩をして、ほかの猫をよせつけませんでした。

モコちゃんは野良猫のお母さんから生まれました。弟がいました。お母さんはモコちゃんが小さい頃、交通事故で死んでしまいました。弟とはしばらく仲良くしていたのですが、その弟も、残念ながら交通事故にあってしまいました。モコちゃんは天蓋孤独でした。だからこそ、強気に生きてきたのだと思います。

モコちゃんは、家の中で過ごすようになって以来、よく私の後をひっつきまいつきしていました。トイレに立とうとしたときでさえ、「ミャーー(どこへ行くの?)」と抱っこをせがみ、「トイレだから、すぐ戻るから。」と言っても離れません。ついには抱っこしたままトイレに行くこともありました。あのころのモコちゃんは人間との生活や新しい家になじむという時期で、とても不安だったのだろうと思います。

そうこうするうちに、家族にも黙って抱っこされるようになりました。それでも、私が座っているとダイニングテーブルでも、ソファでも、畳の上でも、ひざの上に乗ろうとすぐにやってきました。人間に心を許すまでにはなかなか時間がかかるようでした。

人間もそうですが、本当は誰かと一緒に過ごしたい、と思ってもなかなか勇気がなくて言い出せなかったり、恥ずかしくて表現できなかったりします。それに、相手を心から信用できなければ、わざわざ傷つきたくないから、あえて一人でいることを選んでしまうことだってあるでしょう。モコちゃんはまさにそうだったと思います。そんな時に、私が「一人で頑張らなくてもいいんだよ。」と声をかけたのでしょう。


2012/02/25

モコちゃんと私(1)

気が付けば、来週から3月ですか!早いですね~。。。

今回は年寄り猫の「モコちゃん」のお話しをしたいと思います。

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モコちゃんはメス猫でした。三毛猫模様の長毛種でチンチラのようでした。(定かではありませんが・・・)若い時から気位が高く、他の猫はいっさい寄せ付けませんでした。ケンカも強く、一人で生きているようでした。唯一、仲が良かったのはオス猫のチャトラン(前述のトラ猫)だけでした。

動物はあっという間に年をとってしまいます。モコちゃんも例外なく、大きな体がだんだん小さくなり、美しかった毛皮がショレショレになってきて、とっても小さなおばあちゃん猫になりました。それでも気が強くて、チャトランとだけ仲良くしていました。

ある雨が降った翌日のことでした。家族で買い物から帰ってくると、玄関の真ん前に小さなモコちゃんがうずくまっていました。彼女は今まで家の中に入ったことはなく、母からごはんをもらって、家の庭をテリトリーにしていました。だから、そんな彼女を見た母親は「どうしたのかしら?」と驚きました。「具合でも悪いのかしら?」雨が降って、泥水で汚れたモコちゃんは、いつもよりうんと小さく見えました。

「とにかく、お風呂に入れて暖かくしてあげたら?」と戸惑う母を促し、いったん、家の中に入れることにしました。手早くお風呂に入れて、タオルでくるんで、体温を保つように暖かくしました。1月の寒い冬の日のことでした。

めずらしく写真に写ってくれたモコちゃん



2012/02/07

チャトランと私(4)

子供のうちに片目になったチャトランは、少し高い場所から飛び降りるときに失敗することがありました。左右のバランスがとりにくかっただろう、と思います。「猫なのに、かわいそう。」とそのときは思っていました。けれど、本人はまったく気にする様子もなく、ずっこけた着地の態勢からそそくさと歩いていきました。

せっかく残った片目が、ケンカのせいで腫れて、「やっと見える」くらいしか開かなくなったとき、「これはマズイな。」と思いました。オスはなわばり争いの喧嘩があるし、目が見えにくいと、若い元気な猫になわばりをとられてしまうからです。「夜は必ず帰ってきなさいね。」と言い含めても、外に置いた箱にいないことがよくありました。そういうときは「怪我をして、帰れないんじゃないか。」と心配しました。

今でも気がかりなのは、チャトランが「自分が家族から嫌われて家に入れなくなった」と思っていなかったかどうかです。青年期になって家を出るようになったころから、マーキングをするようになったのでチャトランは外猫として飼われることになりました。本当なら避妊手術をして、一生家の中で飼えば良かったのかもしれませんが、避妊手術に不賛成だった家族は彼に手術をしませんでした。これは良い・悪いではなく、飼い主の価値観なのでなかなか難しいところです。

柴犬ハチの散歩にでかけると、チャトランはいつも一緒についてきました。車の通る道を歩くので、「危ないからお帰り!」と何度もいいましたが、つかず離れずの距離で、ハチと私の後をチョロチョロ歩いてきたことを思い出します。きっと、ハチのことを「大きな猫」と思っていたのでしょうか。自分も仲間に入りたかったのでしょう。

動物と一緒に住んでいると、「心が通じたのかな?」と思うようなことが多々あります。それぞれは小さなことですが、そして、偶然かもしれないのですが、どうしてもそう思えるときがあります。

チャトランがきちんとトイレをしてくれたとき。
チャトランが布団の足元から移動したとき。
チャトランがチビを優しくむかえたとき。

彼はいったい何を思っていたのでしょうか。

チャトランは天使になった今でも、ときどき私の元を訪れてくれます。そういうときは、夜、布団の足元に近づいてくる重さを感じます。やわらかい毛布をフミフミしてから、やがて、私の足元に丸くなる重みを感じます。「ああ、来たんだな。」と思うと同時に、「あのとき、本当は一緒に寝たかったんだなあ。」と生きていた1年前のことを思い出します。

ペットが亡くなると「もっと優しくしてあげればよかった」とか「もっと言うことを聞いてあげればよかった」などと、飼い主として自分を責めることがあります。私も「あのとき、重くても我慢して、一緒に寝てあげればよかった」と思ったことがあります。でも、今おもうのは、あのとき我慢していたとしても、きっとチャトランはそれを見抜いただろう、ということです。

ペットを1度迎え入れたなら、本当に愛しているよ、ということを何度も何度も伝えてあげることはとても大事なことです。何度伝えても、多すぎるということはありません。(人間もそうですね)そして、最後の瞬間まで看取ってあげる勇気と意思が必要だと思います。

2012/02/02

チャトランと私(3)

チャトランは怪我の多い猫でした。何かの罠にかかったのか、尻尾を半分にちょんぎってきたことがありました。皮1枚でプラプラつながっている尻尾を見つけた母親が驚いて私を呼び、つかまえようと外にでると尻尾がポトリ、とベランダに落ちて「きゃーっ!」と大声をあげたものです。落ちた尻尾は「ご遺体」として母と庭の片隅に埋めました。猫は我慢強い動物です。どんなに痛かっただろうと思うのですが、チャトランは黙ったまま、じっとしているのでした。

片目のチャトランの、大きな目がケンカが原因なのか、まぶたを腫らして帰ってきたことがありました。目は治ることがなく、だんだんと細い目になっていきました。猫の爪には毒があるといいます。世界が見づらいだろう、と可哀そうに思いましたが、もしかしたら、彼は世界を見たくなかったのかもしれません。それでも、何かの気配を感じるとじっと耳をそばだてて、ギリギリまでじっと目をこらして、信じられない俊敏さで動くのでした。

ベッドを独り占め

2月のある日、私は新しい家に引っ越すことにしました。チャトランはその数日前から、私に愛想をつかしたかのように他人行儀にふるまっていました。「前はあんなに甘えてくれたのになあ。」と少しさみしく感じつつも、自分の気のせいかなあ、とも思ってみたり。けれど、チャトランはその日の朝でていったきり、戻ってきませんでした。

引っ越したのは古い家だったので、あちこち修理が必要でした。ペンキを塗ったり、磨いたり、部品を替えたり、毎日毎日掃除をしました。忙しさにかまけて、チャトランのことは少しの間忘れていました。

ふと、「チャトラン、どうしてるかなあ。家には入れてもらえないだろうからなあ。」と心配になることがありました。寒いだろうなあ、チピと仲良くしてるかなあ、と気になっても「まあ、しょうがないか。」とあきらめていました。

今にして思うと、チャトランは私の自立を助けてくれました。あそこで甘えられたら、きっと、引っ越す時期を逃したかもしれません。つんけんした態度だったから、チャトランのことをあまり心配せずにすんだのでしょう。


本日のメッセージ

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。こんにちは、中村久美恵です^^ 今日もあなたが目覚めるメッセージ♡お届けします。 ...