2012/06/15

のら犬と私(5)

何とも居心地の悪い目覚めでした。犬が逃げ去った翌朝、のろのろと起きだして、愛犬の散歩の準備を始めました。そうだ、散歩しながら探してみよう。まだ、あきらめきれませんでした。

きょろきょろしながら、愛犬に引っ張られるままのコースをよたよた歩きながら探しました。似た犬はいないかな?お腹すかせていないかな?いったい、どこに行ったんだろう?

結局、朝の散歩でも、夕方の散歩でも、あの犬は見つかりませんでした。「はあ~。」ため息ばかりがでます。数日間、こんな散歩が続きました。

ある日の夕方、愛犬を連れて歩いていると、ご近所さんが声をかけてきました。「犬は元気?」「ええ、おかげさまで。結構、食べるようになったんですよ。」「あら、そう。やっぱり、お腹が空いてたんでしょうねえ。だって、細い足してたものねえ。」「?」。話がかみ合わないことに気づいて、少し沈黙していると「ほら、あの犬よ。その子(私の愛犬)じゃなくて、この前、保護したって言ってた、あの犬よ。」ああ、痛いこと聞かれちゃった。「ああ、あの犬・・・あの犬ねえ、逃げちゃったのよ。捕まえた日の夜にねえ。」そして、事の次第を話したのでした。ご近所さんは「あらあ、それはボケてたのかもねえ。」と言って「まあ、しょうがないわよ。もう、あなた、その子がいるからいいじゃないの。」となぐさめて(?)くれました。

そう。愛犬は私にとって人生の道のりを一緒に歩いてくれる、大事な大事な友人であり、相棒であり、先生でもあります。この子を幸せにすることは、私にとって大きな意味があります。でも・・・。あの犬と納得できない別れ方をしたことが、小さく鋭いとげのように、私の心に残っていました。

人間はなぜ罪悪感を持っているのでしょうか。自分を責める、この小さいけれど、しつこい声。子どもの頃に、大人が自分(個人)の価値観が正しいと信じて、子どもに投げかけてきた、命令口調の声。
「どうして、逃がしちゃったの?」
「だめじゃないの、ちゃんと気を付けていないと。」
「あなたのせいよ。どう責任とるの?」
「だからダメなのよ。しっかりしないと!」
「もう、どうしようもないわね。あきらめるしかないじゃない。」
「泣いたって駄目よ。まったく、しょうがないわね。」
こんな声が私の心に響いては消え、響いては消えてゆきました。

「自分にはどうしようもないことが、人生には起こる。」これが、私の中の先生の声でした。そう、子どもにも、大人にも、自分ではどうしようもない出来事が、確かに人生には起こるのです。
電車の遅延。
飛行機で出る急病人。
会社の方針転換。
そして、誰かの死。
これらからいつも学ぶのは、「自分には力の及ばないことが、ある。」ということです。自分には出来ないことがある。そう認めるには勇気がいります。でも、それが現実です。ジブンニハ、デキナイコトガアル。だから、できなかったこと、できないことを責める必要はないのです。ただ、できなかった、と認めるだけで十分なのだ。そう、思うに至りました。

今でも「あのときは、残念だったなあ。」と思い出すことがあります。けれど、あの犬にとっての最善は、やはり、ここから逃げ出すことだったのでしょう。




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本日のメッセージ

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。こんにちは、中村久美恵です^^ 今日もあなたが目覚めるメッセージ♡お届けします。 ...